(4) 天徳院 金沢市小立野町 <曹洞宗> 金龍山(きんりゅうざん) 天徳院の歴史 =天徳院のパンフレットより参考= 元和9年(1623)に加賀藩三代藩主前田利常(としつね)公は正室 珠姫(たまひめ)菩提のため,金沢城の東(小立野台)に四万坪の敷地を 定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624),江戸幕府初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴(こさんせんてき)和尚を長安寺(千葉県)より招き,天徳院第一世開山とした。珠姫は,加賀,越中,能登の領地百万石を治める大大名,加賀三代藩主 前田利常公の正室 であり,慶長4年(1599)6月11日,徳川2代将軍秀忠公の娘として生まれ,名前は珠子(たまこ),幼名を子々姫(ねねひめ)といった。同年,前田家では藩祖利家公が亡くなり,2代藩主利長公が加賀の国へ帰り藩政を治めていた。その間には前田が徳川を討つという噂が流れ,家康公は大変驚き,軍勢 を集め前田を攻めようとした。この情勢を聞いた利長公はすぐ国家老を派遣して,前田家が徳川家に、はむかう計画は一切ないことを説明し,その証としてやむなく利長公の母 芳春院(ほうしゅんいん=お松の方)を人質として江戸に送り,かわりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約した。慶長6年(1601),珠姫3才のとき加賀の国へ輿入れ14 才で結婚,三男五女を育てられた。 ●現在では、お子様に恵まれないご夫婦が、子が授かります様にと、御参りに来られております。 先日の08年6月14日、hpお客様も前回御参りに来て、直ぐにお子様に恵まれ、 金沢観光・第一の目標は天徳院へのお礼参りとのことでした。
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