近代美術史の中でも異色の芸術家 【人間国宝を辞退し、自分に正直!納得した生き方を貫いた人間】 【陶芸家・書・絵画・料理(美食家)・漆芸・篆刻! どれも一級品】
北大路房次郎の生まれは、明治16年3月24日(1883〜1959)昭和34年12月21日【没76歳】 京都市上賀茂神社社家(現、北区)の北大路清操・登女(とめ)、の次男として生まれる。 生まれて直ぐに貧農の家に里子として出されてから次々と養家が変わり6歳の時に、 木版師・福田武造・フサの養子となる。それでも小学校だけは卒業し、 養父、福田武造の木版の仕事を手伝いながら書や篆刻に天分を発揮! 独学している時「一時書き」の名手として名をうるようになり書家の志を 心に決めた。25歳の時・京都の安井タミと結婚、長男が生まれる。
福井県鯖江市本町 旧道沿い・呉服屋の【あめや】店内に置かれています。 北大路魯山人が彫った看板 看板は呉服店正面奥に!横2m40cm縦96cmの大きさ、暑さは10cm欅(ケヤキ)の一枚板に「呉服」とノミの彫った後が鮮明に残っています。看板は次のように彫られています。右上、○の中に 寿 の字、 真ん中に大き字で 呉服 の字、左上には次のように、大正二年菊花月 為桑原老舗創業 百年記念 大観作左下には 長宜 子孫 ※この頃、このような大看板を好んで彫っていました。鯖江の地の後は石川県の山代温泉で大きな看板などを彫っています、名の知れたところでは「あらや滔々庵(とうとうあん)TEL(0761)77-0010」「白銀屋」「吉野屋」などにも作品があります。また、名を福田大観と名乗っていました。 因みに、[「人間国宝」を辞退した人は過去2名陶工 =北大路魯山人氏と河井寛次郎氏のこと ]