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 写真:フーガ・クラウご案内車両

本丸及び主要郭の説明
この郭は、末森城中最も高い位置にあり近世に入ってから「本丸」の名前で呼ばれています。昭和61年度(1986)に礎石硫認のための調査を実地したところ、本丸主門の基礎石を始めとして、数十箇所の礎石と思われる反応が得られました。このうち、数ヵ所については、試堀し確認しました。建物の規模・構造形態などをしるには、資料的には不足していますが、基礎石を必要とする。かなり重量のある構造物があったことが推量されます。
なお、本丸にあった建物は、末森城廃城後それぞれ移築されており、本丸主門については、金沢城の鵈の丸門として移され、宝歴9年(1759)に焼失するまで実在していたほか、本丸の建造物については、末森合戦に功績のあった者に払い下げられており、これも明治の大火で焼失するまで津幡町地内に実在しておりましたが、現在では伝承以外にその威容を知る手掛りは無くなってしまいました。ただ、町内の幾つかの寺院については、末森城の建造物の解体によって得られた、多くの建築材を転用したことも知られており、今後の調査によってどのような建造物があったかを知る手掛かりになるものと考えられます。
この本丸を中心として、北側に前田利家が「末森合戦」時に入城した搦手長坂があり、南側に二の丸、三の丸、若宮丸、若宮とつづき、この主要な郭を囲むように二重に腰曲輪が巡っています。また、東側の谷あいには馬掛場の通称を持つ大きな平坦面があり、城主の館が在ったのではないかと考えられています。西側には腰曲輪を形成する一方鎗場の通称を持ち、ここから向山砦に連なる武者道が、三の丸・若宮丸間の大手道と平行してのびています。

本丸跡地からの眺め
       北側を望む
西側・日本海を望む

末森城合戦と野村伝兵衛信貞

加賀、能登、越中、三国の要にある末森城は、前田利家の重臣奥村家福いえとみ(永福ながとみ)がこれを守っていた。越中の佐々成政が家康にくみすることとなり秀吉派の利家を脅かさんと天正十二年(1584911日八千の軍勢で末杜城を攻めたのがこの合戦である。城主家福の必死の防戦と、危急の報に金沢城に在った利家は利長と共に急援し、二千五百騎の宙・寡勢(かせい)でその背後から急襲して勝利を収めた。
見方を攻撃中の敵の背後から挟み撃つ戦法を「後詰」(ごつめ)「後巻」(うしろまき)といわれ、末森城後詰は、合戦史上有名である。この合戦は「末森合戦絵巻」となり、また「末森記」として戦史に残されておりその戦況の仔細も生々しく表現されている。
この戦いで馬廻衆野村伝兵衛は、一番槍を果たし、利家郷より感状を授けられて、千石の加増を申しつけなされたと記されている。
      「金沢市・長町(武家屋敷跡:野村家)」クイック

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