「どうしたって」

 雰囲気が変わったことくらい、見ていてすぐに分かった。
「言わない」と言っていたくせに、あの女が桜木に告白したんだと想像出来るほどの桜木の驚きようだった。
 目を見開いてオレを見る。見返していると、めずらしく視線を逸らさず、しばらく後に桜木は寂しそうに微笑んだ。
 短く、赤木に何かを告げて。
 それからすぐに練習を始めた桜木の背中を、物言いた気に追う赤木の切羽詰まった眼差しが、その日は疎ましかった。



「流川くん、すぐにでもアメリカに行くらしいよ」



「え?」
 純粋に驚いた後、段々と色んな感情が浮かんできた。
 何で、とか、寂しい、とか。でも、その中で一番強かったのは、どうしてその事をハルコさんが知っているのだろうという、怒りに近い思いだった。
 そして、やっぱり二人は特別な関係にあるんだと気付かされた。
「そうですか」
 たった一言がやっとだった。それしか言えなかった。他に何て言えばいいっつーんだ。
 ルカワはアメリカに行く。そんな事、分かっていたことだ。
 ――馬鹿みてぇだ。
 やっぱ、おかしーんだよ、男が男を好きになるなんて。
 よかった。本当によかった。
 自分の気持ちを打ち明けなくて。言葉にしなくて本当によかった。



「アメリカに行くんだってな」



 むしゃくしゃした気分で終えた部活の後に、桜木はそう口を開いた。
 熱気が冷気に変わっていく体育館で、オレたちは二人きりだった。
 話が見えず振り返ると、こちらを見ていない桜木の姿。
「すぐっていつだ? 部活のこともあっからよ。出来れば教えてほしーんだけど」
「……何の話だ」
 視線を合わせない桜木にムカムカする。
 いつもは目を逸らすのに、今は端からオレを見ねぇ。
 ふざけんな。



 傷付いた。
 この期に及んで、まだ打ち明けてもらえないことに。
 すぐにでもアメリカに行く。黙ってオレの前からいなくなる。
 一瞬、殴りかかってやりたくなる程、泣きたくなった。
 どうせ最後なら、もうすぐいなくなるのなら。
 無茶苦茶に、自分の気持ちのありったけを、無理矢理にでも押し付けてやりたくなったり。そんな考えが一瞬よぎったけれど。
 オレは、そのどちらも出来なかった。



 桜木が笑った。
 すべてをうやむやに、事を進めようとする時に、よく人が見せる笑いだった。
 どうして悲しみは怒りを生むのだろう。
 そして、どうして桜木は、それすらもオレに向けなくなったのか。
 オレたちは一体いつから、自分の気持ちに蓋をした?
 後ろが壁ならば、そのまま桜木の背中を打ち付けたい勢いで伸ばした腕は、ゆるく、その胸元を掴むだけに終わった。
「……何で、オレを見ねーんだ……」
 言えばよかった。言えばよかったんだ。誰かに取られるのが嫌なら、ちゃんと。
 知っていたのだから、オレは。桜木が、オレを好きだって事を。両想いだと、知っていたのだから。
 なのに、あいつを手に入れた後で、いつかあいつが離れていくのが怖くて嫌で、オレは一歩を踏み出せなかった。
 ――ああ、そうか。
 先に目を逸らしたのは、オレなのだ。



「ルカワ?」
 胸倉を掴まれたことで合った視線は、久し振りにその漆黒の奥へと意識をいざなった。
 時間が止まったかのように、静寂だけが辺りを包む。黙ってその瞳を見詰めていると、段々距離が短くなっていくように感じた。
 そして今、一番伝えたい言葉が口にのる。
「行くなよ」
 その唇の動きが、ルカワの唇にも直接伝わった。
「まだ、どこにも行くな」
 掠めるほどの位置にあったそれを、今度は完全に塞いで。
 オレは、その言葉を告げた。


     「好きだ」と言ったら、「オレもだ」と答えが返ってきた。


2005/06


きまぐれにはなるはな