「君のいる場所」

 桜木の部屋を訪れるようになって、何度目かの日曜日。

 雨の所為で外へ出ることもせず、オレは一人でぼーっとしていた。
 昼飯を作る桜木の姿や、鼻歌を聞きながら。

 心地よくて穏やかで幸せな瞬間。そんなものはそうそうあるものじゃない。
 正直言えば、オレはあるということすら知らなかった。桜木に会うまでは。
 こうして、あいつの部屋へ来るようになるまでは。

 布団でも片付けようかと、オレは押し入れの戸を開ける。
 その時に、何だか見覚えのあるものを見つけた。
 ノートよりも少し大きめな、青いプラスチック製の板と、同じくプラスチック製の長方形の箱。
 何だっただろうと思いながら、それらを押し入れから引っぱり出す。
 箱のふたを開けてみたら、特有のにおいがした。
 ひんやりした肌触り。押すとそれは指の形通りに引っ込む。
 懐かしさに、思わずこねてやりたくなった。

「ルカワ? 何してんだ?」

 いつまで経っても居間に出てこないオレを不審に思ったのか、ひょっこりと桜木が顔を覗かせる。
 オレが手に持っているものに気付くと、桜木は少し非難めいた声を上げた。

「あーっ。今からメシだってのに、何で遊んでんだよ。手ににおい付いちまうだろーっ」

 そうして桜木は箱にふたをし、板もろとも押し入れへと押しやった。

「ほら、早く手ぇ洗ってこい」
 そう言ってオレを追い払い、布団を上げ始める。

 オレがしようと思ったのに。そう思いながら、オレは洗面台へと向かった。
 せっけんで丹念に洗ってみたが、そう簡単ににおいは取れなかった。

「……くせー」
「当たり前だ。粘土なんてそんなもんだっただろ」

 オレは食卓に腰を下ろす。

 それにしても、何であんなものがちゃんと残ってんだ?

「……オレのはカビ生えたけど」
「何の話だよ」
「……ほっといたままだと、カビはえねー? 粘土」
「ほっといたままならな」

 ……とすると、何かにつけ遊んでるってことか?

「何か、すげー嫌」
「……てめー、妙な想像してんじゃねぇぞ?」

 食事を並べながら、とても嫌そうに桜木は顔をしかめた。

「大家のばーさんの孫が遊びに来んだよ。粘土が好きで、よくせがまれんだ」

「やれば? 粘土」

「それがよ、オレが作るヤツが好きらしいんだ。孫の間では有名になっちまって、脈々語り継がれている有様だ。現役の粘土兄ちゃんだぜ」
「ほー?」
「あ、信じてねぇな? うまいんだぞ、マジで」

 そうかもな。そう思いながら、オレは疑いの眼差しをやめない。
 桜木は拗ねたように「いただきます」と手を合わせた。

「……いただきます」
 オレも呟くようにそれにならう。

 しばらく箸を進めてから、おもむろに桜木は口を開いた。

「今度、あいつらが来たとき、おめーにも見せてやるよ、オレの妙技」

「妙な技?」
「華麗なる技だ!!」
 からかわれていると分かって真っ赤に吠える桜木に、オレは笑う。

 昼食を終え、食器を片付ける桜木の隙をつき、オレはぐるりと部屋を見回した。
 外はどうやら雨がやんで、いつの間にか陽がさしている。

「どうする? 公園でも行ってみっか?」
 台所で手を拭いながらそう言う桜木に、オレはそうだなと腰を上げる。

 手の平でボールを掴み、桜木が待つ玄関へと向かった。

 靴を履き終え、出掛けに部屋を振り返る。
 桜木は「忘れ物か」と聞いてきたが、そうじゃない。

「探し物」

「何だよ」

「オレが鬼」

「は?」

「かくれんぼしてる」

「誰と」

「秘密」

「……変なヤツ」
 ぶつぶつ言う桜木を笑いながら、オレはもう一度アパートを振り返った。

 ――あの部屋にはまだ、オレの知らない桜木がいる。そんな気がする。

2003/09


きまぐれにはなるはな