LOVE SONG
両親は夏のうちに引っ越していた。流川はインターハイを理由に、それにはついていかなかった。あっちに行っても学校に通うわけではないので、そのまま二月まで、こっちに残ることにした。卒業式には出ないで、就学が終わったら両親のいるアメリカまで飛ぶ。
流川がいずれ渡米することは皆知っていた。チームメイト達は、高校にいる間に留学するのではとビクビクしていた。終わってから、と聞いたときは皆、寂しいなと言いながら喜んでいた。桜木はテープをくれた。
普段は洋楽しか聴かない。桜木がくれたテープは、聞き慣れない邦楽だらけだった。それでも流川は何度も聴いた。物覚えの悪い自分が、そらで歌えるようになるくらい。そして気付いた。それらがどれもラブソングだということに。
桜木とは、出会ったばかりの頃はいつも喧嘩していた。理由は知らない。いつも向こうから仕掛けてきていたように思う。バスケがド素人のくせに、やけに自分をライバル視していた。相手にするつもりはなかったけれど、桜木の成長の速さに焦っていたのは、おそらく自分が一番だったんじゃないだろうか。
桜木が背中を傷めたのは、彼をプレーヤーとして認めた直後だった。そのとき流川は初めて、怖いと思った。誰かを失うのを、こんなに怖いと思ったことはなかった。幸い、桜木の背中はリハビリを経て、バスケをするのに差し支えなくなったけれど。
高校二年の秋、ひょんなことから桜木が、たびたび家に来るようになった。それから流川はいろんなことを知った。桜木が一人暮らしをしていること。好きな食べ物。好きなテレビ番組。好きな場所。好きなこと。
好きな人がいると聞いたとき、嫉妬したのを覚えている。
桜木がテープをくれた一週間後、流川は彼が来るのを待っていた。駅にはいろいろ、誰だか分からないような人まで見送りにきてくれたけれども、そこに桜木の姿はなかった。
返事をするつもりだった。偶然とは思えないあのテープは、きっと桜木からの告白に違いない。返事をするつもりだった。自分も同じ気持ちだと。けれど、桜木は見送りには来なかった。
手紙を書いたり、電話をしたりするのは柄じゃない。てめーを倒すのはオレだ、が口癖だった桜木のことだから、いずれ自分を追いかけて、アメリカまで来るだろうと思っていた。バスケをしている限り、どこかしらで自分達は繋がっていると信じていた。
桜木からの連絡もないまま、二年が過ぎたある日。両親が日本に帰るついでに、自分も帰省した。スケジュールの都合で、一日しかいられないハードなものだったけれど、桜木に会いたいがために実行した。うろ覚えの町並みはすっかり変わっていて、桜木が住んでいたボロアパートは、真新しいものに建て替わっていた。桜木はいなかった。
あとから思えば、先輩に連絡するなり、桜木の大学に行ってみるなりすればよかったけれど、ショックが大きくて、そのままアメリカに帰ってしまった。
それから、がむしゃらにバスケの事だけ考えた。バスケという繋がり、それにすがるしかなかった。続けている限り、いつか会えるはずだ。そのとき、あいつに負けるわけにはいかない。他の誰にも負けるわけにはいかない。その思いだけだった。
更に三年が過ぎて、流川はふと、不安に駆られた。日本から定期的に送られてくるバスケ関連の中に、桜木の名前が全く出てこない。実業団、社会人、どのチームの中にも桜木の名前はなかった。
先輩に電話をして聞いた話では、桜木は二年前、大学三年のときに、また背中を傷めたらしい。高校一年のときにやったところと同じで、今度ばかりは選手生命を断たれてしまった。
冗談じゃないと思った。このまま、自然消滅みたいに終わらせてなんかやらない。自分はまだ何一つ、桜木には伝えていないのだ。
アメリカに悔いはない。心残りはない。
流川は、日本に帰ることにした。
1999/06
⇒きまぐれにはなるはな