わがまま
高校二年の夏。初めて告白された。相手は、ルカワだった。
リョーちん達三年が引退して、オレがこの、湘北高校バスケットボール部の主将になった。そして、予想はしていたが、副主将はルカワだ。人望は当然のことながら、実力でもヤツを上回った証拠、というやつだ。
引き継いだ当初は、多少あたふたしていたけれども、三日も経つと慣れてきた。一週間経った頃には、余裕も出てきた。
考えてみれば、やっていることはこれまでと変わりはないわけで、リョーちんにも出来ていたことなんだから、心配することなんかなかったわけだ。別に自信がなかったわけじゃねぇけど。
相変わらず、連日のように残って自主練をするのはオレとルカワぐらいだった。たまにやっていく一年もいるが、その日はオレらの他は皆、部室へと引き上げていった。
虫が入ってくるって理由で、締め切った扉は、体育館の温度を上げる。けれども、沈みかけた陽が、少しばかり上昇率を下げてくれるお蔭で、それほど気にしないですむ。
黙々と一人でシュート練習をするときもあれば、負けず嫌いをむき出しにして、1ON1をするときもある。今のところ、スタミナの点ではオレの方が断然勝っている。なまっちょろいキツネヤローは、不本意ながら、ポイントの点でほんの少ーし、リードしている。ま、それは心優しいこのオレが、ちょっとばかり勝ちを譲ってやっているからなんだけど。
その日は確か、別々に練習をした。30分ばかりやって、オレは食料が何もなかったことを思い出して、切り上げることにした。
体育館の施錠をルカワに頼もうと振り返ってみれば、ルカワも引き上げることにしたようで、オレは鍵を持ったまま、扉のところで待っていた。
「ルカワー、帰るんだったらちょっと急いでくんねぇか。オレ、買いもんしなきゃなんねぇの、忘れてたんだけど」
近所の商店街は8時に閉まる。そんなに急がなければいけない時間でもなかったけれど、7時を過ぎるとろくなものが残っていない。
ルカワはちらとオレを見て、別に急ぐでもなくやってきた。
オレはちゃんと、急いでくんねぇかと言ったよな。急げとは言ってないよな。人の頼みを聞けないなんて、これだからキツネってヤツは……。
苛立ち紛れのため息をつきながら、体育館の鍵をかけていると、後ろに突っ立ったままのルカワが、声をかけてきた。これは結構珍しいことだ。
「桜木」
「んー?」
よし、戸締り完了。
「てめーが好きだ」
……あ?
言われたことが理解できなかったわけじゃない。それがどういう意味か、ちゃんと分かっている。ただ、ルカワの口から、オレに向けられるなんて、俄には信じられなかった。
「寝ぼけたこと、言ってんじゃねぇ」
恐る恐る、振り返って見たルカワの顔は、別に冗談を言っているようには見えなかった。もとより、冗談を言うようなヤツじゃないし、言う必要もない。考えなくても、それが本気の言葉だってことは分かった。
もしかしたら、嫌がらせか? でも、ルカワは嫌がらせをするようなヤツでもない。
ルカワはじっとオレを見ていた。
これは、告白ってやつだ。自慢じゃねぇけど、オレはこれまで数多く経験してきた。告白されたのは、初めてだけど。
だから、告白するのにどれだけの勇気がいるか、知っている。どんな気持ちでいるのか知っている。
「好きだ」
ルカワは本気だ。
「う、あ……」
オレは、何も言えなかった。
その日は、ろくに返事もしないで、逃げるように帰ってしまった。とても卑怯なことをした。
ルカワのことは、好きではない。それはとてもはっきりしている。
面と向かって告白をしてくるということは、つまり付き合ってほしいということだ。言いたかっただけなら、あの後に続く言葉があるはずだ。
『ごめんなさい。私、好きな人がいるの』
オレは大概、この言葉で振られたけれど、そんな台詞で表せられる心境じゃなかった。
何で、そんなこと言うんだ。そんな感じだった。
今はバスケをしているのがすごく楽しい。バスケのこと以外は、あまり考えられない。ルカワもそうだ。そうだったはずだ。
それなのに、何で好きだなんて言うんだ。何で、オレなんだ。何で、倒したい相手に好かれなきゃなんねぇんだ。
なかったことにしようか。いっそのこと、聞かなかったことにして、これまで通りにしていれば。
……だめだ。いくらルカワだからって、相手に悪い。
聞かなければよかった。聞くんじゃなかった。忘れてしまいたかった。そうしたら、こんなに悩まなくてもすんだんだ。
ルカワのことは、好きじゃないけれども、嫌いでもない。
とにかく今は、バスケに専念したいんだ。
おまえは違うって言うのか? ルカワ。
夏休み中、部活は1時から5時までだ。オレは大抵、家でやることがなくなったら、時間前でも学校へ向かった。
体育館では、まだバレー部が練習をしている。仕方がないので、部室で今日の段取りを考えることにした。蒸している部屋の窓を全開にして、ドアも開けっ放しにしていたけれど、暑さは増すばかりだった。
「う〜、あちぃ」
Tシャツの襟刳りをつまんで、パタパタやっていてもそれほど効果はなく、いい加減、モノにあたりそうになったとき、洋平が顔を出した。
「おー、いたいた」
「洋平」
「家におまえいなかったからさ、多分こっちだろうと思って。ほい、差し入れ。昼まだだろ?」
「おー、さんきゅ」
「流川は?」
一瞬、ドキッとした。
「……まだ来てねぇけど」
「校門のところで見たんだけどな」
「そのうち来るだろ」
「何だ。またケンカか?」
「――そんなんじゃねぇよ」
ケンカの方がまだましだ。こんな風に悩まされることはない。
はっきり嫌いなら、そう言って断ることも出来る。でも、嫌いって訳ではない。
今はそういうことは考えられない、と言っても、じゃあ、いずれは考えてくれるのか、と言われたら答えられない。だから言えない。
大体あいつは、オレも好きだと言ったら、どうするつもりなんだろう。ルカワの好きって、本当にオレが思っているようなものなのだろうか。
「おぅ、きたきた。遅かったな、流川。何してたんだ?」
顔を上げるとルカワがいた。一瞬目が合った。
「……別に」
「野暮か?」
ルカワは無言でロッカーを開けた。洋平はそれを肯定と取ったようだ。
「もてるってのも大変だな。……と、ヤベ。俺そろそろ行くわ」
「バイトか?」
「そう。じゃーな、花道。流川も」
「……ああ」
流川が返事をしたことに驚いて、オレは洋平と目を見交わした。洋平は肩をすくめると、ふっと笑って出て行った。
雨が降るんじゃねぇかと思った。でもそんなことを言ったら、昨日から土砂降りだ。
「ルカワ。今日の練習メニューなんだけど、こんなもんでどうだ」
「――いんじゃねー?」
着替えながら覗き込むルカワに、オレは平静を装いながら続けた。
「おめー昼飯食った? オレまだなんだけど。これ、洋平が持ってきてくれたんだ。食うか?」
「いい」
「そ。んじゃ、とっとと食っちまおっと」
そういえば、あまりのショックに、昨日の夜から何にも食ってねぇことを思い出した。買い物も忘れている。
雑多に入っている袋の中から適当に取り出し、一口かじりついたときだった。
「好きだ」
ルカワは言った。
オレは、何だか急に、顔が無表情になった気がした。動作がゆっくりになって、さっきまでの蒸し暑さなんか、吹っ飛んでしまったようだ。
「……そんで?」
オレはルカワを見なかった。見る気もなかった。
「好きだ」
「何でそんなこと言うんだ」
聞きたくない。どうしていいか、わからなくなる。
「オレは、おめーのことなんて何とも思ってねぇよ」
間髪おかずに一気に言った。
傷つけてしまった。きっとルカワは傷ついた。こんなこと、言うつもりはなかったのに。
――おまえが悪いんだ、ルカワ。
「流川くん、何かあったのかな」
「……どーしてっすか、ハルコさん」
「うーん……何となく。調子は悪くないみたいだけど、時々考え事してるから。前はそんなことなかったのに」
恐るべし、女のカン。
ハルコさんは、オレがバスケを始めるきっかけになった人だ。
ハルコさんに一目惚れして、そのハルコさんがルカワに片想いをしていることを知り、ヤツを倒してオレの方がいい男だと証明するつもりだった。
今ではもう、ハルコさんはただの憧れの人になってしまったけれど、ハルコさんの方は、まだルカワのことが好きらしい。ちなみに、バスケ部のマネージャーだ。
ルカワに告白されてから、一週間が過ぎていた。
あれから、ことある毎に「好きだ」とは言われなくなったけれど、よく目が合うようになった。
そうっすか? とハルコさんに聞き返す。
「うん。あ、終わり」
「おーし、次。3対2、ハーフ」
練習の指示を出しながら、コートへ向かう。そこへルカワが寄ってきた。
「そろそろ新人戦のレギュラー、決めたほうがいいんじゃねー?」
「新人戦……新学期始まってからじゃ、おせぇかな」
「試合形式の練習、始めた方がいいと思う。その為には、レギュラーの目星付けといた方が、チーム分けしやすい」
「そっか。んじゃ、明日あたり、オヤジと相談でもすっか」
監督のオヤジは、このところ体調がよくないらしい。今日はもう、帰ってしまった。
さっきのハルコさんとの会話を思い出しながら、ルカワの考え事ってこれだったのかもしれない、と思った。
何となく、オレのことでも考えているんじゃないかと思っていたことには、気付かない振りをした。
ルカワに告白されたことは、誰にも言っていない。洋平にも相談していない。
オレは結局、なかったことにしようという態度をとっていた。ルカワに面とむかって言ったわけではないけれども、あいつもそうしている。
新学期が始まってしばらくたった頃、ルカワの親衛隊の数が一気に減った。ハルコさんも、何だか気落ちしているように見えた。理由は、それからしばらく後に分かった。
「好きな子が出来たんですって? 流川」
「一体誰だよ」
リョーちんと彩子さんが部活中にやってきて、ルカワにそう詰め寄っていた。
「片想いだそうじゃない。この、元敏腕マネージャーの彩子さんが、力を貸そうじゃないの」
「……別に。いらねーっす」
「あら。何よ、その言い方は。失礼ね」
「それにしても、おまえが片想いねぇ。世の中、上手くいかねぇな」
その間、ルカワは一度もオレの方を見なかった。あれはあれで、気を使っているのかもしれない。
ルカワに好きな人ができた、という話は、結構有名らしかった。
「今まで、めんどくせーとかそんな暇ねーとか言って断ってたのが、ここんとこ、好きなヤツがいるからに変わったんだと」
大楠の情報だ。
「ふーん」
「そっれにしても、一体誰なんだろうな。全然そんなような相手が浮かばないから、嘘なんじゃないかって噂もあるけど」
「しかし、流川がそんな嘘つくかね」
「相変わらず、バスケ三昧の日々だろ。出会いなんてねーようなもんじゃん。そうすると、彩子さんか晴子ちゃんしかいねーんだよな」
「で、も。その二人じゃないことは、確か」
「誰なんだろうな」
「花道。おまえなんか心当たりねーの?」
「――ねぇよ」
「だよな。知っていたら、おまえのことだから大騒ぎしてるよな。流川が片想いしてんだから」
大楠と野間と高宮の話を聞きながら、オレはルカワの本気を再確認していた。
「気になるか? 花道」
隣から洋平がさりげなく聞いてくる。
「なんねぇよ」
ぼそりと返すと、洋平はあれ? といった感じで、しばらくオレの横顔を見ていた。
人から思われることが、多少なりとも煩わしいものだとは思いもしなかった。相手が悪いわけではないのに、恨めしく思うのは何故だろう。
「いつから、オレのことが好きなんだ」
ルカワに応えられないのに、こんなことを聞くのは卑怯だとは思う。でも、どうしても聞きたかった。
「……さぁ」
ルカワは、わかんねーと答えた後に、
「夢を見た」
と続けた。自主練後の部室でのことだ。
「夢?」
「てめーがまた怪我して、バスケが出来なくなる夢。それ見て、オレらの間からバスケを取ったら、何もつながりがねーことに気付いて。そしたらなんか、てめーのこと好きなんだっつーのも分かって。言いたくなった」
好きだと自覚したら、その気持ちを相手に伝えたくなる。それはオレにもよくわかる。
「あれは相手のことも考えねーで、一方的に自分の気持ちを押し付けるだけのもんだ。言われた方にとっては、ただのメーワクでしかねーのは知っていたつもりだったけど」
すでに支度を終えていたオレは、ルカワの背中を見ながらそれを聞いていた。着替え終わったルカワは、一旦そこで言葉を区切ると、ゆっくりオレの方を振り返った。
ルカワの表情が読めないことを、腹立たしく思う。
「……メーワクか?」
こんなあいまいでいるよりも、ここで肯定したほうが、きっとルカワのためだ。
オレは、卑怯だ。
「メーワクなら、やめる」
応えられないのに、ルカワを手放したくないと思っている。
「おめーのことは、好きでもねぇし、嫌いでもねぇ。今はバスケの方がおもしれぇし、そのことだけで頭ん中いっぱいで、ろくに他の事なんか考えられねぇ。でもオレは、てめーに好きになるなとは言えねぇ。そこまで、オレの権利はねぇ」
「ずりーな、てめーは」
分かっている。
「そーやって、自分じゃ答えをださねーつもりか。オレを傷つけたくねーっていう建前で、本当は自分が傷つかねーようにしているだけなんじゃねーの」
その言葉には、正直言い返せなかった。
オレは、ルカワから目を逸らさないので精一杯だった。妙な意地だ。
「オレは好きだからな」
そう言って、ルカワはロッカーの扉を閉めた。
嫌いなわけじゃない、というのは、結構厄介だ。
ルカワは独占欲が強いらしい。ハルコさんや洋平や、とにかくオレが誰かと親しげに話していると、必ずといっていいほど、睨むようになった。ハルコさんなんて、かわいそうなくらいだ。
「おまえな、睨むのはやめろよ」
「るせー」
わかっていても止められないのだという。もっとも、やめるつもりもないみたいだけど。ところ構わず「好きだ」を連発されるよりはマシかと思った。
しかし、オレは甘かった。
「なーんか最近、流川によく睨まれるんだよな」
昼休み。屋上で食後の休憩をしていたとき、冗談めかして洋平が言った。今日は残りの三人は午後をフケるっていうんで、二人きりだ。
「あいつはもともと目つきわりぃじゃねぇか」
「おまえといると、特になんだよな」
「……何が言いてぇんだ、洋平」
「んー? 別に」
明らかに、何か含んだ言い方だ。
結構ストレートにものを言う洋平にしては、珍しいことだった。
もしかして、何か感づいたのかも。だらだらと、冷や汗が出るような気がした。
「そういや、花道」
「な、何だ」
「おまえ、流川の好きなヤツ、知ってんのか」
「しし知るわけねぇだろっ」
「そ?」
「……なんでそんなこと思うんだ」
「流川の好きなヤツが誰か、気にならねえって言うから。おまえってほら、なんだかんだ言って、流川のこととなるとうるせーだろ。知ってんじゃねえかな、と思ってさ」
「しらねぇよ」
「そ。んじゃま、この話はおいといて。花道、誰かに告白されたか?」
一気に顔に火がついた思いだ。
「どーしてそういう話になるんだっ」
「いやな、流川に告白されたんじゃないかな、と思って」
「……洋平、何か知ってんのか」
「流川の好きなヤツがおまえなんじゃないかと思っただけだよ」
「ふざけてんじゃねぇぞ、洋平。どこをどうしたらそんな」
「ふざけてるつもりはないけどな。――別におかしかないだろ、あいつがおまえのこと好きでも」
「何でだよ。普通のことみてぇに言うなよ。どうしていいかわかんねぇのに」
「ゆっくり考えていけばいいんじゃねえ? 幸い、あいつも一応、待ってくれているみたいだし」
いきなりオレは我に返った。
えーと、今のは……もしかして、思い切りバレてる!? しかも、それをオレ、認めたか!?
「あ、あのな、洋平」
「おっと、昼休みも終わりだ。行くか、花道」
「洋平っ」
「もたもたしてっと、置いてくぞー」
洋平には敵わない。この時ばかりはそう思った。
季節はやがて冬を迎え、春になり、オレたちは高校最後の夏を目前にしていた。
「目標は、あくまで全国制覇だ。てめーら、忘れんじゃねぇぞ」
練習にも熱が入り、自主練をしていく人数も増える時期だ。
「ルカワ」
上がり際、まだやめる気配のないルカワに呼びかける。何人か残っていたが、オレはそのまま続けた。
「夏が終わったら、答えを出す」
手を止めて、ルカワは振り返った。
「……分かった」
「何のことですか、先輩」
「キミタチには関係のないことだよ」
ルカワのことを意識するようになって気付いたことは、オレは以前からルカワを意識していたということだった。
よくよく思い出してみると、好きと言われたことに嫌悪を感じなかった。優越感を、もしかしたら持っていたかもしれない。
あの時、バスケが一番でなかったら、オレはどんな答えを出していたのか。
県体で優勝し、全国への切符を手に入れたとき、ルカワはある提案をした。提案というより、強制だ。
「勝ったらキスする」
いきなりのことに、オレは一瞬言葉が詰まったほどだった。
「何言ってんだ、てめーは。これが終わったらちゃんと返事するって言っただろうが」
「うるせー。今まで散々てめーのわがままに付き合ってやったんだ。そんくらい覚悟しやがれ」
「わがままって……おめーな、まるでオレが承諾するみたいな言い方すんじゃねぇよ」
「すんだろ」
「どっから来るんだ、その自信は」
「てめー見てりゃ分かる」
「あのな、オレはてめーなんて好きじゃねぇんだからな」
「嫌いでもねーんだろ」
「だからって、好きになるか」
「キスが嫌なら負けるか?」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、ルカワ」
「だったら、取引成立だ」
「勝手に決めるな」
「全国制覇、するんだろ?」
「……あたぼーよ」
でも、それとこれとは話は別だ。そう言ったところで、ルカワに聞き入れてもらえないのは明白だった。
ちくしょう。絶対、ぜーったい、好きだなんて言ってやらねぇ。死んだって言ってやらねぇからな!
ルカワに告白されてから、一年が経とうとしていた。自分から告白なんかするもんかと、オレはこのとき初めて思った。
1999/05
⇒きまぐれにはなるはな