春[1]
それは彼が進級して間もない頃。
家から学校までのちょうど中ほどにある公園が、まだ朝夕の底冷えに震えながら、新しい息吹を着実に育てている季節。
数時間前に顔を出したばかりの太陽が、木々の枝をすり抜け、下草を温めてやることが出来ないでいる中、流川楓は通い慣れた道を歩いていた。
本来なら、公園内を登下校時に通り抜けるのは、校則で禁止されている。しかし、流川はお構いなしに毎日ここを通っていた。
公園、そしてそれに隣接する運動場を突っ切れば、児童玄関まで最短距離であるが、流川の目的は別にある。
いつもなら聞こえてくるはずのない、耳慣れた音が辺りに響いていて、流川は少し足を速めた。テンテンと、真新しい革のボールが弾む音。呼応するようにさえずる小枝。
この広大な公園の一角に、ひとつのバスケットゴールが設置されている。固めの地肌がむき出しの、決して最高とは言えない場所だが、流川はとても気に入っている。普段あまり人気のないそこは、格好の練習場なのだ。あろうことか、音はそこから聞こえていた。
自分のテリトリーを侵すものは、誰であろうと許さない。怒りで上がる息を抑えながら、ざっと小さな砂埃を上げる。目の前、リングの真下には、男がいた。
白のTシャツに黒いズボン。男といってもまだ若い。顔を見れば、少年をやっと過ぎたばかりだが、均整の取れたがっしりとした体つき、それがまた程よく日に焼けている様は、流川にとても大きな印象を与えた。思わず彼に見入ってしまう。
男の口が、小さく何かを呟いている。
彼はゆっくりと息を吸い込むと、タンタンとその場で二度ほどボールをついた。手のひらで感触を確かめながら、じっとリングを見つめる。真摯な眼差しは強い光を湛えていて、流川はつられるように息を詰めた。
手からボールが放たれた瞬間、流川は駄目だと心の中で舌打ちをする。案の定、ボールはリングにかすりもしないで、地面の上を転がり弾む。
「だーっ!」
側頭に両手をあてがい、空に向かって男は吠えた。悔しさが滲みきったその声に、流川は彼の力量を知った。ボールを拾いに行くその隙をついて、おざなりに作られた腰までの仕切りをするりと抜ける。
ベストポジションを確保したとき、男が振り返った。流川に気付いて、顔を少ししかめる。短い髪が陽りに透けて、色を失くしながらきらめいている。
その美しさに目もくれず、流川はかばんからバスケットボールを取り出した。男の物より、一回りほど小さい。
「何だ? お前も練習すんのか?」
男は小首を傾げていた。流川は「お前も」という箇所に、誰がと毒吐く。見上げるように、彼を睨み付けた。
「下手くそは余所へ行け」
とたんに男が気色ばんだのが分かった。太くて一直線につり上がった眉が、ぐっと中央による。
一瞬腰が退けたが、男はフンと鼻息をついただけだった。あるいはそれは、深呼吸だったのかもしれない。とりあえず、流川はその場に後ろ足をとめるが警戒はまだ解けず、重心は落としたままだ。
薄いカーテンのような陽りを正面から浴びながら、男は両腕を組んだ。尊大な構えだ。ふんぞり返る遥か頭上から、流川を見下ろす。
「口の利き方を知らねぇガキだな。下手くそだから練習してんだ。てめーだって、そうだろう」
態度と言葉のギャップに流川は呆れた。自然とため息がもれる。
「てめーより上手い」
それに流川は下手だから練習しているわけではない。上手くなるために練習をしているのだ。一緒だと言われそうだがそれは違う。流川は決して、下手ではない。と、自分では思っている。
ボールをついて今朝の感触を確かめていると、男は膨れっ面をして下唇を突き出した。
「そーかね。んじゃ、今ここでオレ様に手本を見せてくれねぇか」
ちらりとくれてやった視線の意味を、彼は勝手に取り違える。
「ん? できねぇの」
上げた眉に、流川はどあほうと声に出さずに言い返す。黙ってそこで見ていろと、体全部で言い聞かせた。
ゴールの前から、男は身をどける。
手本であればワンハンドだが、悲しいかな、今の流川には無理だ。それは、傍らのランドセルが物語っている。
流川はリングに向き合うと、ぐっと膝を折り曲げた。屈み込んだ姿勢から伸び上がる瞬間に、両の手からボールを空に解き放つ。それは一度ボードに当たり、ためらいもなくリングをくぐった。今日も調子は悪くない。
朝のひんやりとした空気が、道をゆく騒音を溶かしていく。今ここにあるのは、ボールの音と流川の足音、そして男の息遣いだけ。スズメの声もハトの羽ばたきも存在しなかった。
こぼれたボールを拾い上げ、流川は男を見上げる。彼は目と口を開いていた。これ以上ない驚きの表情に、流川は馬鹿にしながらも満足する。
「すげぇな、おめー。本当にうめぇんだな」
ほめられて、正直嬉しかった。けれども、とってつけたように「それともマグレか?」と言われてムッとする。感情を、そのまま冷たい言葉にのせた。
「てめーより上手いって言った」
むぅと男は顎を引く。期待を裏切り立ち去る気配を見せない彼に、気の短い流川はしびれを切らす。無情なセリフを口にした。
「練習するから、てめー帰れ」
去年からほぼ毎日、流川はここで練習している。この言葉は当然の権利だと、流川は疑わなかった。しかしそれが男に通じるわけもなく、彼はひとつ大きく肩で息をついた。怒りを通り越して、呆れたような感じだ。
「帰れってなぁ。ここは公共の場だから、てめーにそういうことを言う権利はねぇぞ。早い者勝ちだ」
順番という言葉も譲り合いという言葉も、今は流川の頭の中からきれいに消え去っている。
「そんなこと知らねー。オレは毎日ここで練習してんだ。いきなり来て横取りすんじゃねー」
一歩も退かない流川に、男は考えるように上を向く。しばらく「うーん」と唸っていたが、何かを思いついたのか、すいと顔を下ろしてきた。
「バスケにだってルールがあんだろ」
反射的に流川は頷く。
「ルールを守れないヤツは、バスケットマンじゃねぇ。わかるか?」
これにはさすがに、流川も口をつぐんだ。
バスケットマンじゃないと言われるのは嫌だったが、だからってこの場所は譲れない。ここは唯一の、流川の秘密の練習場なのだ。
黙って俯いたままの流川に、男は困ったようにポリポリと頭をかいた。きっと、練習がしたいという同じ気持ちに、彼は気付いているのだ。
不意にしゃがみこみ、男は流川と目線を合わせる。間近に見る彼の目は、深い飴色をしていた。きれいで透き通っていて、なめると甘そうだ。
「んじゃ、一緒に練習するってのはどうだ?」
「一緒に?」
一人練習を好む流川は、不服そうに聞き返す。男は口の両端をふっと引き上げた。一瞬、流川の瞳孔が開く。
「おう。オレだって練習したい。おめーだってそうだろ? だったら一緒に練習すりゃいい。見ての通り、オレはシュートもろくに入らない下手くその初心者だ。そこで、おめーに手ほどきを頼みたい。嫌か?」
流川の妙なプライドが、首を横に振るのを拒む。代わりに見返りを求めた。
「オレのメリットは?」
「一対一でディフェンスしてやる」
「ザルじゃねー?」
「これは自信ある」
強くてはっきりした言葉でも、あまり信用できなかったが「これでフィフティー・フィフティーだろ?」と言われて、流川はしぶしぶ頷いた。男の大きな口が、にかっと笑う。
「よし、協定成立!」
大きな声に、スズメが流川の背後で飛び立った。
一瞬風が起こったのは気のせいだろうか。ざわざわと音が聞こえるのは空耳だろうか。
満足気に立ち上がった男は、そうだと言って流川を見下ろす。
「名前、まだ名乗ってなかったな。オレは桜木花道だ。てめーは?」
とても特徴的な名前だと思ったが、きっと相手もそう思うだろう。
彼の名前が春を呼び起こすものだとしたら、流川の名は秋にふさわしい。
「流川楓」
女みたいな名前だなと笑われるのを覚悟したが、桜木はそうしなかった。名前を反芻する時間を置いて、ついとランドセルにその夕陽を思わせる目をやる。
「小……六?」
「小五」
「最近のガキは背高ぇなぁ」
「あんたは?」
「オレは湘北高校一年だ」
流川は驚いた。まさか高校生だとは思わなかった。もっとずっと大人だと思っていた。だって、頭の位置がおそろしく高い。
「よろしくな、ルカワ」
長身を恨めしく思いながらも、向けられた笑顔に世界が色を帯び始める。徐々に。それまではそこになかったはずなのに。
若葉が低い姿勢で朝露に濡れていた。
流川の周りに、風の音や鳥の声があふれていた。
春という名の季節を、流川は初めて実感した。
その市内の中心部に位置するこの公園は、桜の時期ともなると花見客でいっぱいになる、市民の憩いの場所である。
対角に二つの池と二つのちょっとした山があり、池には鯉が、山には紅葉が美しいもみじを代表とする様々な木々が存在している。
公園内には東屋はもちろん図書館や博物館、果ては茶室まで造られてあり、それらの合間を埋め尽くすように、松、桜、柳やどんぐりの木が林立していた。
流川の大切な場所は、博物館の隣にある。
敷き詰められたとても細かい砂利を踏みしめながら、今日も流川はそこへ向かう。7時20分から15分間、一日の中で最も充実する貴重な時間。
桜木はいつも先に来ていた。
初めて会ったときは気付かなかったが、彼は赤い髪をしていた。朱色と言った方が近いかもしれない。緋色という言葉を、流川は知らなかった。
「よう、ルカワ」
太陽がよく似合う笑顔で、桜木は声をかけてくる。負けないくらいのあいさつを返したいが、人付き合いが苦手な流川は小さく応えるだけである。
一度くらい桜木より早く来たい。そう思って、何時から来ているのか聞いたことがある。
7時。それが彼の答えだった。ちょうど流川が起きる時間だ。それもやっと。いくらなんでも、これ以上の早起きは無理だろう。
けれども、早く寝れば早く起きられるかもしれないと思い、何日か試してみた。が、睡眠時間が延びただけだった。
「ガキなんだから、いっぱい寝とけ。寝る子は育つって言うだろ」
子供扱いされて、流川は面白くなかった。
桜木の朝は早い。5時から新聞配達のバイトが始まり、6時半には朝食を終える。電車で一駅やり過ごし、駅から歩いてここへ来る。
ちなみに、彼の通う湘北高校は、ここから徒歩で15分ほどかかるだろうか。流川の家から一番近い高校だ。歩道の桜並木が、今ちょうど見頃である。
「何でそんな朝はえーの。バイトすっから?」
「まぁ、そうだな」
「何でバイトすんの」
「金ねぇと、メシ食えねぇからな」
「貧乏なんか」
「まぁな」
「父さんの稼ぎわりーの」
「……何だそれ。おふくろさんの愚痴か」
「おばさんがいつも言ってる」
「おばさんか」
「朝早いとお母さん大変じゃねー?」
「それがルカワのお母さんの愚痴か」
「その代わり昼寝してる」
「そっか」
微妙にはぐらかされる会話。この時はまだ、流川はそれに気付かなかった。
父親が他界して、まだ一年経っていない時期だったそうだ。母親は桜木が幼い頃に亡くなっており、彼は一人だったのだ。流川がこのことを知ったのは、これから数年のちである。
思えば確かに、家族の話はしなかった。それ以外は聞きもしない事まで話す桜木だったのに。お蔭で自分のクラスメートよりも、桜木の口から出る名前の方を先に覚えてしまった。
ゴリとセンドーをあっと言わせるために、彼は今ゴール下のシュート練習に余念がない。
飲み込みは早い方だ。まだ完璧とまではいかないが、フォームはほぼ固定しつつある。目に見える結果はいずれ伴ってくるだろう。
しかしそこは初心者と子供。やはり多少の焦りはあった。
「ううむ。何故入らん」
原因は流川にも分からない。フォームは悪いところはないのだ。
手先に入る余分な力がそれだったが、とにかく基本が大事、とコーチの受け売りをすると、それは主将の口癖らしかった。
「ゴリと一緒なこと言うな」
面白くなさそうに、桜木はムスッとこぼした。充分わかっていることなのだろう。流川は嬉しかった。
桜木との練習は楽しい。
理由を言葉にすることは出来なかったが、気を使わなくてすむところが好きだった。言いたいことも言える。力の加減もしなくていい。年上などと考えたことなどなかった。
流川は桜木と対等だった。それだけでよかった。そう思えることが大事だった。
そういえば、自信があると豪語していた桜木のディフェンスは、決して上手いと言えるものではなかった。はっきり言ってザルだったが、小学生の流川には、それは充分強敵だった。
長い手足に、抜群の反射神経。身を屈めて対峙するその眼に、流川の鼓動はいつも高鳴る。小学生相手に、決して手加減しないその姿勢が嬉しかった。そうさせる自分の力が誇らしかった。
ディフェンスをすり抜け、シュートが決まると、流川はすぐさま桜木を振り返る。彼の顔を見るためだ。
桜木はとても正直だった。それが如実にあらわれる表情は、驚くほどに、不思議なほどに、言葉よりも雄弁だ。
今日は軽く息を弾ませながら、微かな笑みを浮かべた。
仙道に似ていると、桜木は言った。
「自分が勝つのが分かり切っているから、オレと勝負すんのは楽しいんだと」
部の一つ先輩だという仙道彰は、いつも飄々としていて掴み所のない、ふざけたヤツだと桜木は言う。事ある毎に、からかわれているらしい。
口調はいかにも憮然としていたが、表情を見るとそれほど嫌っていないのがわかる。ゴリのことを話す時もそうだ。さぞ部活は楽しいものなのだろう。そう思うと時々、流川は悔しくなるのだ。
練習はいつも、流川の方が先に切り上げる。
藤沢小学校は目と鼻の先だが、子供の足では近道をしても3分はかかる。走れば2分ほどだろうが、どちらにしても始まりが早いのは小学校の方だ。
ランドセルを担ぎなおすとき、後ろ髪を引かれないことはない。ついその場で立ち話をしてしまう。45分までに教室に入ればいいのだから、10分ばかり余裕がある。
流川は桜木に、バスケを始めた理由を聞いてみた。高校に入るまでやっていなかっただろうに、何故、と。
「あー」
桜木は頬を染めた。
「ハルコさんに、勧められて」
はにかむ姿に音がした。確かにざわっとした音が。どこから聞こえたのかわからない。そもそも、耳に聞こえたものなのか。
耳の奥から、その音はする。
「ゴリの妹さんなんだけど、これが全然似てなくて、すげー小さくて可愛いんだ。いわゆる、一目惚れってやつでよー」
バスケ部の主将・赤木剛憲は、そのいかつい顔と桜木を上回る体格から、ゴリとあだ名を付けられている。何かとあればすぐ桜木の頭上に加減ない鉄拳を下す、短気な男だと前に聞いた。
威圧的な存在感はゴール下で遺憾なく発揮され、県下では有名な選手である。仙道もずば抜けたバスケセンスでその名を轟かせているが、どうにも二人だけでは勝ち進むのは難しい。
赤木晴子は、兄の夢である全国制覇を後押しするため、バスケに適した人材を探し求めていたのだ。
「興味なんて、それまで全然なかったんだけどな」
「好きなんか、その女のこと」
まるでその言葉を聞きたくなくて、たたみかけるように流川は言う。
桜木をからかう気持ちなんて微塵もなかった。どこか冷めた口調が、流川の心情を物語っている。しかし、桜木はそれに気付かない。照れたように鼻をこすり、こちらをちらとも見ないで答えた。
「まぁ、な」
中天に程遠い太陽が、長い影を作り出す。足元からズッと伸びたそれには目もくれず、流川は桜木を見続けた。
「だから始めたんか」
「部員の数が少なくてよ。で、この天才の力を借りたいと」
初心者のくせに、と流川は横目で影を見る。
流川にとって、バスケは神聖なものだ。何よりも大切で、純粋に大好きなものだ。
桜木が、バスケを好きで始めたわけではないのだと知って、流川は面白くなかった。
同じだと思っていた。同じ人種だと思っていたのだ。なのに。
裏切られたような気がした。
高い空の上、今日は風が強いらしい。太陽が、流れゆく雲の隙間に見え隠れする。
「確かにゴリとセンドーだけでは、全国は難しい。しかし、このオレがついていれば、まさに百人力」
その自信は一体どこからやってくるのだろう。理解できない流川は、呆れながらも相槌を打つ。
「全国って、インターハイのことか」
「む? インターハイ? 何だ、それ」
思わずため息が出た。桜木が小首を傾げる。
本当にわかっていないらしい。呆れて物も言えないとは、このことだ。
答えないとわかってか、桜木は先を続けた。
「とにかく、全国は全国だ。そのためにも、まずこうして秘密特訓をして、ゴリやセンドーをあっと言わせてやる。な、ルカワ」
一つの雲が過ぎ去って、陽光が顔をのぞかせた。依然影はそこにあるが、あまりの眩しさに目がくらむ。
桜木はズルい。流川は思った。
時々わけもなくそう思うのだ。
流川の同級生に清田信長という、サルみたいなヤツがいる。きゃっきゃ、きゃっきゃと騒がしく、いつもそこら中を飛び回っているうるさい少年だ。鬱陶しくはあるが、どこか憎めず、上級生のウケもいい。
サルという点を筆頭に、やたらしゃべるところや流川に対抗心を燃やすところなど、桜木との共通項が多く、何だかよく似ていた。
厄日というものを流川は知らなかったが、今日はまさにそういう日なのかもしれない。
人に見つからないように、こっそりと公園を抜け出たとき、流川はその清田とばったり会ってしまったのだ。
「おす、流川」
不意にかけられた声にぎょっとする。まるで待ち伏せでもしていたかのように、清田は出入り口の真横に立っていた。にやにやしたその顔に嫌な予感を覚えた流川は、眉をひそめて先を急ぐ。
「オレ、見ーちゃった。あんなところで練習してるなんてなぁ。抜け駆けするなんて、ずるいぞー」
清田は後をついてきた。学校に向かうのだから必然的にそうなるのだが、あまり一緒に行く気分ではない。
無視するも、清田の揶揄する口調は続く。
「オレも明日からあそこで練習しよっかな。体育館だと人が多すぎて、思うように出来ないもんな」
休み時間の体育館は、それこそ芋を洗うような状態だ。一年から六年まで、全員でないとはいえ、かなりの生徒が集まってくる。
確かに思うように練習は出来ない。流川が公園を利用するようになった一因だ。
「くんな」
清田の思いつきに、流川は即答した。
不意をつかれた清田はたった一言の拒否に怒りを感じたのか、拗ねた声で後ろから言い募る。
「いーじゃんかよ。一人で練習してるわけじゃねーんだから、いまさらオレが加わったってどってこと」
「くんな」
流川の口調はきつかった。ムッと口を引き結ぶ。気分を害した清田は、意趣返しに矛先を変えた。
「あの人、高校生?」
「……そうだけど」
突然の切り替えに、流川はついていけない。
フッと小馬鹿にしたように、清田は鼻で息をついた。
「その割には下手くそだな。背高いくせにシュートなんか全然入んねーし、あれならオレの方がまだマシだぜ」
それまですたすた歩いていた流川は、その言葉にピタリと足を止めた。ぶつかりそうになった清田が、すんでのところで体をよける。
「急に止まんなよっ」
抗議は耳に入らなかった。肩が大きく上下して、全身が奇妙なほどに震えていた。
「言うな」
やっとの思いで、流川は声を絞り出す。何故かそれは掠れていた。怒るという事が滅多になかった流川は、怒りのもとの名を知らない。
呟きを聞き取れなかった清田は、ムッとして「何だよ」と言い返す。
流川はくるりと身を反転させた。互いを睨みながら二人は向き合う。瞳に入った光をすべて、細く鋭い矢に変えて、弓につがえるような流川に、微かに清田は顎を引いた。
「どあほうのこと、下手って言うんじゃねー!」
初めて聞く流川の怒鳴り声。実際それほど大きなものではなかったが、清田の足はそこに縫い付けられた。驚くには充分だった。
清田をそこにおいて、流川はかまわず歩き出す。それはまさにズンズンといった感じで、自分でも止められなかった。
腸が煮えくり返る思い、これがきっとそうなのだろう。
日頃桜木をどあほう呼ばわりしているのは、他ならぬ流川自身である。でもそれを、別の誰かに言われるのは到底許せなかった。何をわかって、桜木をコケにするのか。桜木を馬鹿にしていいのは自分だけだ。そう流川は思ったのだ。
続く
⇒きまぐれにはなるはな