Flying KIDS[5]
「流川ーっ。元気だったぁ?」
会場内に響き渡らん声に、流川は振り返った。人懐こい笑顔で、ぶんぶん手を振っている男を見つけて、流川は、何のためらいもなく、無視をした。人を食ったようにしか見えなかったのだ、流川には。
「流川ー!」
「……おい、流川。呼んでるぞ」
うんざりした宮城が、わざわざ流川にそう言った。観念して、流川は「おう」と手を上げる。
全国高校総体、地区予選、準決勝会場。そこで流川は、仙道に会った。お互い、高校二年になっていた。
「久し振りだな。はなみっちゃん、元気?」
流川の隣に腰を下ろすと、開口一番、仙道は聞いた。相変わらずな男だ。
「さぁ。元気なんじゃねー?」
「会ってないのか?」
流川は頷いた。会っていないどころか、このところ電話のやり取りも、数日に一回となっていた。
「けんかでもしたのか」
「いろいろ忙しいっつって。あいつ、今年三年だし」
ケンカをする暇もないくらいだ。まともに会えたのは、去年の夏と、今年の正月、それと、この前の春休み、この三回しかない。
「お前もお前で、部活が忙しいってか。お気の毒だねえ」
大きなお世話だ。
「そういえば、春休みに水戸に会ったんだけど」
思い出したように、仙道は話題を変えた。
「お前、知ってた? あいつ、藤井さんと付き合ってんの。ほら、新聞部の。はなみっちゃんの先輩にあたる」
「知ってる。桜木から聞いた」
「あら、そう」
中学の卒業式のときに、告白されたらしい。
そう言うと、仙道は「あぁ」と冷めた口調で言った。
「野暮用ね、あの時の。あーやだやだ。みんな青春しちゃってさー」
仙道は拗ねてみせたが、流川はやめてほしかった。
げんなりしていると、突然下の方から、怒りの声が飛んできた。
「あーっ、仙道! 何やってんだよ、そんなところで」
見ると、指を差しながら喚いている男が一人。
悪びれる様子もなく、仙道はおどけた。
「あらら、見つかっちゃった」
「見つかっちゃったじゃねえっ! 早くおりてこいっ」
仙道は、肩をすくめる。
「そいじゃ、ま、越野も呼んでることだし、ぼちぼちいますか」
とっとと行け、とは心の中。
「はなみっちゃんに、よろしくね〜」
本当に、相変わらずな奴だ。
流川はため息をつきながら、仙道を見送った。
結局その日、松城は三点差で負けてしまったのだが、一応仙道に会ったことを話そうと、流川は夜、花道に電話をかけた。
七時頃だ。いくら何でも、寝ているはずはないのだが、花道はつかまらなかった。何度ベルを鳴らしても、誰も出ない。
外食でもしているのだろうか。
流川は、その程度にしか、考えなかった。
しかし、翌日も、そのまた次の日も、花道はつかまらなかった。
流川はだんだん、心配になる。何かあったのだろうか。流川の留守中にも、花道からの連絡はないという。
「どうしたのかしらね」
何の音沙汰もないまま、一週間が過ぎた。こんなことは、初めてだ。
「今日の帰り、あいつん家、寄ってみる」
その日、流川は、部活が終わるとすぐに、花道の家に向かった。走っていけば、ものの五分とかからない。
暗い景色の中。花道の家の前に、人影を見つけて、流川は目を凝らす。
丁度、水戸がスクーターから降りているところだった。
「水戸!」
呼びかける。水戸は振り返った。
「……流川。どうしたんだ、こんな時間に」
少しばかり、水戸は驚いていた。駆け寄って、流川は聞く。
「桜木は?」
「花道なら、中にいるけど。本当にどうしたんだよ。急ぎの用か?」
のほほんと驚いている水戸を見て、流川は、あれ? と思った。とにかく、息を整える。
水戸の様子から、花道に何かあったとは考えにくかった。
「……いる?」
まだ上がる息で、流川は聞いた。
「いるよ」
至って普通に、水戸は言った。
流川は一度、花道の家に目をやって、それから再び水戸を見た。
「お前は? ここで何してんの」
「アッシーくん。病院まで」
「――病院?」
流川が聞き返したとき、花道が家の中から出てきた。
「何だ。来てたんなら、呼んでくれよ、洋平。遅いからどうしたんかと……」
水戸の横にいる流川に気付いて、花道は言葉を切った。元気そうな花道に、流川はとりあえず、ほっとする。
「ルカワ……」
花道は、茫然と呟いた。その強張った表情に、水戸の眉間にしわが寄る。
「花道。お前まさか、流川に何も言ってねえのか」
何のことだろう、と流川は思う。
花道は、ばつが悪そうに口を引き結んだ。それを見て、水戸はため息をもらす。そして花道に近付くと、その手から紙袋をもぎ取った。
「洋平」
「これはオレが届けとく。お前は、流川にちゃんと説明しろ」
強い口調だった。
言い置いて、水戸はヘルメットをかぶると、スクーターにまたがった。エンジンをかけながら、くいくいと指先で流川を呼ぶ。
「何だ」
水戸は、考え込むように俯いていた。しばらくして、ひとつ息をついて、ふと目を上げる。メット越しに、視線が合った。水戸は、微笑んだ。
「……またな」
「――ああ」
本当は、何を言いたかったのだろうか。
水戸は手を振ると、そのままスクーターを走らせた。
流川は、花道を振り返る。すまなそうに、花道は何かを言いかけて、俯いた。
「……病院って?」
口火を切ったのは、流川の方だった。
「父さんが、ちょっと体壊して……入院してんだ。市民病院に」
初耳だ。
「わりーの」
「たいしたことねぇ。しばらく安静にしていれば、直良くなるって。とりあえず、二週間」
「そうか。……電話、かけてもつながんねーから、何かあったのかと思って」
それならそうと、何故言ってくれなかったのだろう。そんな大変なことを、花道は何故、一言も話してくれなかったのか。
たった一人の親が倒れたのだ。不安に思わなかったはずがない。
言ってくれれば、慰めることも出来たのに。励ましの言葉をかけてやれたのに。力を貸してやることは無理かもしれないけれど、支えることは出来るのに。
「黙ってて、ごめん。迷惑かけたくなかったんだ。ルカワ、今、部活、忙しいし。――でも結局、心配かけちまったみてぇだな」
……迷惑?
流川は、呪文を繰り返す。
気にするな。
「――水戸は?」
「父さんの着替え、届けるのに送り迎えしてもらってる。自転車じゃ、ちょっと遠いから」
気にするな。
「毎日?」
「うん。わりぃな、とは、思うんだけど」
「ふーん」
気にするな。
「ごめんな、本当に。こんなことなら、ちゃんと言っておけばよかったな」
申し訳なさそうに、花道は流川を見た。
「迷惑かけたくなかったんだ」
黙って、流川は頷いた。
終始、流川の顔は穏やかだった。
その顔の下で、流川は必死に言い聞かせる。
気にするな。花道に、他意があるわけじゃない。心配をかけたくなかった。ただ、それだけだ。
気にするな。
新人戦が終わったら、学園祭の時期だ。松城高校も、ご多分に漏れず、にわかに活気づいている。
それはそれでいいのだが、困ったことに体育館が使えなくなるのだ。お蔭でこのところ、基礎トレーニングが中心になっている。
当然、部活はいつもより早く終わる。流川は着替えを済ませると、占拠されている体育館へ向かった。中をのぞき、いくつかに分かれている固まりの一つに近付く。
声をかける前に、水戸は流川に気付いた。
「おつかれさん」
「――出来たの」
「んーん。まだちょっと」
「ふーん」
様子を伺おうとしたが、他の連中にガードされてしまった。
「企業秘密」
一種独特のオーラが、揺らめいていた。
「わりーな」
水戸は苦笑する。
どうしても見たいというものでもないので、流川は気にしない。
急に、水戸は言った。
「花道に、言ってなかったのか」
「え」
「昨日、すげー恨まれた」
流川は水戸を見る。
「会ったの」
「会ったよ」
少し、流川は目を伏せる。
「……お前が言ってると思ってた」
「おーい、おい」
呆れたという体で、水戸は腰に手をあてた。
その日の夜。流川は電話で、早速言われた。
「洋平が、毎日そっちに行ってるんだって?」
拗ねた口調だった。
流川は、説明をする。
「うちの工学部と共同で、何か作ってるっつってた。学園祭で、披露するんだと」
「ルカワ、そんなこと、全然言ってなかったじゃねぇか。昨日だって、一昨日だって」
「水戸から、聞いてると思ってたから」
「聞いてねぇよ。大体、昨日だって洋平に会ったの、たまたまなんだから」
それを聞いて、知らずほっとする。
「……そうなんか」
「そうだよ」
流川は、かしかしと頭をかいた。
「ごめん」
「うー、別に、謝ってほしいわけじゃ……」
口ごもりながらそう言ったあと、花道は突然、話題を変えた。
「あのさ。オレの父さん、再婚するかもしれない」
流川は些か驚いた。
「めでてーじゃん」
「うん。いや、まだわかんねぇんだけど」
そう言っていたが、花道の声は、嬉しそうだった。
「あいつのオヤジ、再婚すんだって?」
次の日、流川は水戸にそう聞いた。水戸はきょとんと流川を見たあと、大きくため息をついた。
「いや。オレは初耳」
それから、ポンと流川の肩に手を置いた。
「あのなぁ、なーんかお前ら、勘違いしてねえか」
「勘違い?」
「そう。オレは、毎日花道に会ってるわけじゃないし、お前とも大の仲良しなんかじゃない」
流川は、嫌そうに顔を歪める。
「誰だ。そんな気色わりーこと言うのは」
「花道だよ。『洋平は、昔からルカワとは仲いいもんな』だと」
何を言っているんだ、あいつは。流川はため息をついた。
「お前も。何か知んねーけど、時々オレのこと、睨んでるし。嫉妬とか言うんだったら、お門違いだからな」
馬鹿にされたような気がして、流川はムッとする。
「あいつが、オレよりお前を頼りにしてんのは、お門違いでも何でもねー」
「甘えてるだけだって」
「それでも、嫉妬するには十分だ」
苦笑して、水戸は頭の後ろに手をやった。
「あのなぁ。相手が違うだろ。……お前ら、喧嘩したことある?」
「……けんか?」
「気ぃ使ってばっかじゃ、駄目だって。一回ぐらい、わがままになってみろよ。甘えて欲しけりゃ、まず自分が甘えてみるこった。見栄なんか張ってたら、恋愛なんてできっこねーって。相手に対して、惨めになるのを、恐れるな」
びしっと言ったかと思ったら、急に水戸は照れ笑いを浮かべた。
「なんてな。オレらもついこの前、山場を迎えたわけだ」
「……藤井と喧嘩したの」
「そう」
想像してみる。
「……あいつ、怒ると怖そうだな」
「怖いなんてもんじゃねーよ!」
水戸は、力説した。
喧嘩をしてみろ、と水戸は言っていたが、流川はどう切り出せばいいのか、わからなかった。そもそも、喧嘩を吹っかける明快な理由も、流川にはないわけだ。
早い話が、水戸の言わんとするところが、流川には理解できていないのである。
「今日も、洋平と会ったのか」
複雑な声音だった。怒っているようにも聞こえるし、拗ねているようにも、ためらっているようにも聞こえた。
「オレはもう、三ヶ月も会ってねぇのに」
「会いてーの」
「……ルカワは、会いたくねぇのかよ」
いつもであれば、「でも、しょうがねぇか」と言うところで、花道はそう言った。
流川は、ドキリとする。
「何かあったんか」
「別に何もねぇよ。聞いてるだけ。ルカワは会いたくねぇの」
「会いてーよ」
当たり前じゃないか、と思う。何でそんな当然のことを、花道は聞くのだろう。
「んじゃ、今から会おう?」
「は?」
思わず、声が上ずった。
流川は時間を確かめる。八時半だった。
新聞配達をしているから、花道の朝は早い。父親と二人暮しだから、当然家事もしているはず。加えて、受験生だ。いくら何でも――
「冗談だよ」
「――え」
思案から、流川は引き戻された。
「冗談だって。考え込むなよ」
受話器の向こうから、けたけたと、花道の笑い声が聞こえる。
「……そう」
納得出来ないまま、流川はそう答えた。
一瞬、沈黙が訪れる。
流川は、耳に神経が集中しているような気がした。
「――じゃあ、そろそろ切るな」
花道の声のトーンが、幾分落ちているように感じた。
喉が、音を出すのを、拒んでいる。そこを無理矢理、押し通す。
「……ん。じゃ」
「おやすみ」
聞きようによっては抑えたような、穏やかな声。
ゆっくりと、受話器を置く。流川は、顔が見えない不安を、強烈に感じていた。
「オレは時々、あいつがわかんなくなる」
次の日、流川はそう、水戸に言った。
明日から二日間の日程で、学園祭が催される。「最後の詰めだーっ!」と叫んでいる一陣を眺めていた水戸は、ちらりと横目で流川を見た。
「あいつの言っている言葉が、本当のことなんか、わかんねー。本心が、何か別のところにあるような気がして」
ちょっとの沈黙が、不安になる。抑えた口調に、憶測する。明るい声に、無理をしているのではないかと思う。
花道は今、どんな表情をしているのだろう。
顔が見えれば、その言葉の裏を読むことができるのに。少なくとも、電話越しよりは。
水戸は、ぽりぽりと頭をかいた。
「花道も、同じこと思ってんじゃねえかな」
思ってもいなかった言葉に、流川は聞き返す。
「何か言ってたか」
「んー、いや、そういうことじゃなくて。おまえってさ、顔にもそんなに出ないけど、さらに声は単調だからさ。不安なんじゃねーかな、あいつも」
そんなつもりはないけれど。
でも、もしかしたら、花道も同じように悩んでいるのかもしれない。
どうしたらいいのだろう。
「花道と会って、話し合うしかねーって」
水戸は言った。
「こんなところで、オレに愚痴っていても、こればかりはどうしようもねえよ。当人同士の問題だ。オレに言ったように、花道に言ってみれば」
流川は俯く。
隠している感情が、もうひとつ。
「……水戸」
「あん?」
「オレは、てめーに嫉妬しているけど、あいつにも、時々、劣等感みたいなもんを感じるんだ」
「……劣等感?」
理解しかねているのか、呆れているのか。水戸は、中途半端な顔をする。
「何つーか、あいつの方が大人っつーか。オレの方が、ガキみたいな気がして」
自分からは、本心を見せない。花道の出方を、半ば待っているように、鎌をかけたりすることもある。臆病といえば、そうかもしれない。
水戸は苦笑した。
「だから、な。そういうことは、花道に言えって」
流川は、押し黙る。
言いたくない。こういうことを感じているなんて、花道には知られたくない。
「……おまえ、昨日オレが言ったこと、全然わかってないな」
水戸がそう聞いたので、流川は正直に頷いた。とたんに、水戸は投げやりになる。
「もう知らねえ」
ため息とともにそう言って、水戸は踵を返した。
「水戸」
流川は、引き止めようとする。けれども、水戸はひらひらと手を振った。
「これ以上のアドバイスは、できねーよ」
まるで、最後通告だ。
仕方なく、流川は体育館を後にする。校門を出たところで、流川ははっと、足を止めた。
「――桜木」
フェンスに寄りかかるようにして、花道が立っていた。花道は、流川を認めると、ゆっくり、無言で体を起こした。
流川は驚いていた。
「バイトは?」
「休んだ」
素っ気無い、花道の答え。その答えに、さらに驚いたけれど、とりあえず、流川は言う。
「公園でも、行くか」
花道は、一度そこに目をやって、頷いた。
文字通り、目と鼻の先にある公園は、初めてのデートの時に、待ち合わせをした、あの公園だ。
木々が生い茂った公園。一歩、その中に入るや否や、花道は口を開いた。
「洋平と、何話してたんだ」
流川は、振り返る。
「は?」
「会ったんだろ。今日も」
やけに機嫌が悪そうだ。どうしたのだろうと、流川は思う。
「何話してたんだよ。オレには言えないことか?」
答えないでいると、花道は語気を強めた。
上目遣いに、ぎろっと睨み付けてくる。
流川は困惑する。花道は一体、何を怒っているのだろう。
以前にも、似たようなことがあった。両手を握り締めて、拗ねているというより、疑っているような感じで――
流川は、花道の頭に手を伸ばす。びくっと、瞬間目を閉じたそれを、ぽふっと、胸に抱きかかえた。
「何か、あったんか?」
抱え込まれた花道は、とっさに身じろぎをしたけれど、流川の声に、それをやめた。おとなしく、されるがままになっている。
気を落ち着かせようと、流川はそれだけを考えていた。じっと花道を抱き続ける。
しばらくして、花道は一度、深呼吸をした。
「ごめん」
そして、ぽつりと呟く。
「会いたかったんだ……」
「ん」
流川はその髪に、顔を埋めた。
続く
⇒きまぐれにはなるはな