Flying KIDS[2]
工作室は、渡り廊下をはさんだ、調理実習室のはす向かいにある。
「あーっ、またぁ!」
仙道は叫んだ。
「もうっ。どうして、いっつもいっつもいっつもいっつもっ、水戸なわけっ」
調理実習室の扉を開け、肩でぜいぜい息をしている。
「仙道くん。入ってくるのは構わないけれど、もっと静かになさい」
お料理クラブの先生に、へらへらと謝りながら、仙道は水戸のところへ行った。流川はため息をつきながら、「しつれーします」と後に続く。一口、と言って、仙道は水戸からせしめた。
「流川くーん。食べる?」
別のグループから声がかかったが、流川は断った。今日のメニューは、けんちん汁。
「仙道にでもやれば」
「だってもう食べてるじゃない」
「はなみっちゃーん。どうしていつも水戸にあげるのぅ」
ごちそうさま、と、仙道はお椀を返しながら愚痴っている。
「別にあげてるわけじゃないぞ。洋平が勝手にとっていくんだ」
「あーそー。水戸はいいよねぇ。工作クラブは、簡単に抜け出せるもんねー。オレたちはそうはいかないからなぁ。クラブ終わってダッシュで来ても、とうてい水戸にはかなわない」
「あっちの班は、まだ残ってるぞ」
「違うの。そうじゃないの。オレは、はなみっちゃんの作ったやつが食べたいの」
「オレ一人で作ったわけじゃない」
「そうよ。だいたい今日のは、花ちゃんは材料切っただけで、他はみんなあたし達がやったんだから。ちなみに、味付けはあたし。おいしかった? 仙道くん」
「そりゃもう、すんごく」
にこっと笑った後に、仙道はうーんとうなった。
「そうか。よくよく考えてみれば、そうだよな。つまり、はなみっちゃんの完全なる手料理は、未だ誰も口にしていないということか」
「いるぞ」
「家族は別だよ」
「ルカワ」
ピシッと、空気に電流が走った気がした。
「それは初耳」
とばっちりを食う前に、すかさず予防線をはる水戸。
「……いつ?」
「運動会のとき。お弁当交換したんだよ。な、ルカワ」
仙道はぐるりとこちらを向いた。目が怒っている。
「ぬけがけ」
「なんだそれは」
「ひどいなぁ。約束したのに」
「そんなもん、した覚えねーよ」
流川はため息をついた。やっぱり。
バレれば絶対やっかいだからと、今まで秘密にしていたのだ。
「はなみっちゃんもはなみっちゃんだよ。オレがこんなに好きなのに」
仙道の好きは、聞き飽きるくらい聞いた。そのたびに、流川の顔は無表情になる。
いつの間にか、そばによってきた水戸が、声を落として聞いてきた。
「うまかったか?」
頷く。水戸はふっと笑うと、肩を叩いた。
「よかったな」
流川は、もう一度頷いた。
ふいに、花道と目が合う。合ったように思う。けれども花道は、ゆっくりと顔を逸らした。
何だか元気がないように見えた。
「水戸。あいつ、なんかあったの」
「花道? いや、オレはなんも聞いてないけど」
「ふーん」
「流川。そろそろ、ここ出ないと、後片付けの手伝い、させられるぜ」
「あら。勘がいいのね、水戸くん」
振り返ると、先生がにっこり笑って立っていた。えへへへ、と水戸は笑う。流川はそのまま廊下へ向かった。
「花道! オレ戻るなっ」
「うん。――ルカワ、帰るのか?」
「そう。じゃーな」
手を振った。そこへ、パンパンと先生が合図する。
「はーい。じゃあ、後片付けにはいってー。仙道くんも。よろしくね」
仙道のことだから、きっとにっこり笑って、おとなしく手伝っているに違いない。
冬の体育館は冷える。
体を動かせばそれなりに汗は出るが、夏のように拭っても切りがないということはない。大抵、クラブの終わり頃になると、汗はひいている。
ジャンパーを羽織りながら、仙道はため息をついた。
なんなんだ、さっきから。
「うっとうしい」
「しょうがないだろ。出るんだから」
またため息をつく。
流川もため息をついた。ランドセルを手に取りながら、仙道に言う。
「いかねーの。ちびんとこ」
「いくよぅ。いきますよー。今日入れて、あと三回しかないんだから」
「何が」
「クラブの時間」
流川は目を瞠る。
さっきより大きめのため息をつきながら、仙道は言った。
「おまえさぁ、気付いてる? オレたちもうすぐ、卒業よ」
仙道はランドセルを手に持つと、とぼとぼと歩き出した。
「滅多なことじゃないと、はなみっちゃんに会えなくなるんだよ。はなみっちゃんが中学にくるまで、二年も待たなきゃいけないんだよ。しかも、たったの一年で、またさよならだよ。ため息も出るって言うの」
確かにそうだ。でも、会いたければ会いに行けばいいだけの話だ。
そう言うと、
「甘いよ、流川は」
困ったように、仙道は笑った。
渡り廊下に出ると、花道が水戸と一緒にいた。気付いた水戸が、声を掛ける。
「遅かったな」
「あれ。もう終わっちゃったの?」
花道が頷く。
「うん。今日のはそんなに時間かかんなかったから。中でしばらく待ってたんだけど、先生に追い出された」
「待っててくれたの? 寒いのに、ごめんねー」
ひしっと抱きつこうとした仙道から、花道は嫌がって逃げた。ざまーみろと流川は思う。
「そんなことすると、センドーにはやらねぇぞ」
「わかった。やらない」
仙道が、両手を上げて立ち止まる。
「今日は何?」
流川は聞いた。
「クッキーだってさ」
「ふーん」
「おまえが来るの遅いから、オレ、おあずけくってたんだぜ」
「洋平っ」
真っ赤になって、花道が叫ぶ。
「何で」
聞くと、仙道が冷めた声で言った。
「流川のバーカ」
「まぁまぁまぁ。やっとそろったんだから、早くクッキー食べようぜ」
流川がむっとするより先に、水戸が苦笑しながら取り繕った。
「ここ、寒くねぇ? もっとあったかいところ、ないのかよ」
「ぜいたく言うな、花道。放課後にそんなところありゃしない」
「そ、そうか」
言って、包んでいる紙をあける。のぞきこんだ仙道が手をのばした。
「チョコクッキー? いっただっきまーす」
「ほら、流川も取れよ」
水戸が一個つまみながら言った。流川は頷く。ほおばっている仙道に、花道が聞いた。
「おいしいか?」
満面の笑みで、仙道は答える。
「おいしーよ。女の子もね、もうちょっと考えてくれてもいいのにね」
「何の話だよ」
苦笑しながら、水戸は仙道に突っ込んだ。
「バレンタインの話だよ。みんながみんな、揃ったようにチョコレートでさ。くれるのは嬉しいけれど、もらうほうの身にもなってほしいかな、なんてね」
「そんなにいっぱいもらったのか?」
花道が聞いた。
「ルカワも?」
「勝手にランドセルの中に入れられた」
「けっこう大変だな」
感心したように言う。
「はなみっちゃんは?」
「オレはもらわなかった。洋平に渡してくれってのはあったけど」
仙道は、驚いたように眉を上げたあと、
「あらあら。水戸もすみにおけないね」
にたにた笑いながら、からかうように言った。
それを横目に黙々と食べていると、花道がくるりとこちらを振り返る。
「ルカワ、おいしい?」
「ん。うまい」
頷くと、花道はニカッと笑った。
「さすが天才」
「何だそれ」
「最近の花道の口癖」
「そうそう。はなみっちゃんは、天才だよねー。もう、オレ大好き」
「おう。オレも嫌いじゃないぞ」
自分もひとつつまみながら、花道は続けた。
「洋平もルカワも、みんな好きだぞ。ルカワは? オレのこと好き?」
ちょっと待て、と思った。何でいきなりそんなこと聞くんだ。
「……あ?」
みんなが注目をしている中、何とも間の抜けた返事になってしまった。
流川は頭の中で、花道の言葉を反芻する。
反芻して、むっとした。
「どあほう」
流川は言う。
「てめーなんか、大っ嫌いだ」
特別になりたかった。
好きの中の一人では嫌だった。
「はなみっちゃんに、会ったよ」
四月。始業式から一週間が経っていた。
「そろそろ仮入部期間に入るだろ。オレたちの部に誘いにいったんだけど、ふられちゃったよ」
「ふーん」
「流川は会いに行かないの?」
仙道は言った。
「わざわざ行かなくても、そのうちばったり会うんじゃねー?」
「オレ、おまえのそういうところ、好きで嫌いだな」
苦笑しながら非難する。やっかみにも似た態度だ。流川は言い返した。
「別に、てめーに好きになってもらわなくても、どーだっていい」
「わかってるよ。冷たいんだから」
おどけたように言って、仙道は問題集に目を落とした。何も後ろを向いて、人の机の上で開かなくても。やるなら自分の席ですればいいのに、と流川は思う。ちなみに、仙道は隣のクラスだ。
問題を解きながら、仙道はおもむろに言った。
「なぁ、流川」
「なんだ」
答えなんかわかんねーぞ、と心の中で思う。
「誤解はさ、まだといてないわけ?」
ゴカイ?
「……何の話だ?」
「大嫌いだ事件の誤解」
視線を落としたまま、仙道は言った。流川は窓の外に目を戻す。
「……謝ったじゃねーか」
ちゃんと。
仙道と水戸に、次の日に花道のところまで引っ張られた。
「『ひどいこと言って、悪かった』あれじゃ、前言撤回になってないよ」
別に構わないけれど。流川は声に出さないで言う。
上目遣いに、ちらりと仙道は流川を見た。
「ま、関係ないって言えば、関係ないんだけどね。あれから二年も経っているし、はなみっちゃんの方も変わったかもしれないし。……でも」
問題集を閉じると席を立つ。
「嘘をつくのは、どうかと思うな」
去り際に言葉を残した仙道の後ろ姿を、流川はじっと睨みつけた。
その次の日の昼休み。流川は偶然、花道に会った。小学校卒業以来だから、まさに二年振りだ。
「ルカワ!?」
声を掛けてきたのは、花道のほうだった。流川は振り返った。
「やっぱりそうだ。懐かしいなぁ」
全然変わっていない笑顔が、そこにあった。
流川は、ほっとする。
「な、な、な。オレ、背、伸びたと思わねぇ?」
ふっふっふ。と笑っている。流川は聞いてやった。
「どんだけになったんだ」
「なんと! 160cm。すげぇだろー」
流川は微笑った。
「そうだな」
「あ。でもルカワも伸びてる。やっぱ、まだ追い越せねぇか」
花道はちぇっと舌打ちした。流川はじっと、花道を見る。
背が伸びた。声も、ほんの少し変わった。顔つきだって、微妙に変わっている。
「……バスケ、やらねーって?」
「おう。センドーに聞いたのか」
頷きながら、流川は問う。
「どうすんの」
「まだちゃんと決めてねぇ。文化部だとは思うけど」
「何で」
意外な言葉に、流川はちょっと目を見開く。
照れたように、かしかしと、花道は頭の後ろをかいた。
「新聞配達のバイト。許可下りたからさ、朝夕やろうと思って。運動部だと、時間的にきつそうだから」
「ふーん」
相変わらずだと流川は思う。そこがまた、嬉しかった。
廊下の時計を見て、花道が声を上げる。
「あっ……と、オレ、次、体育だった。ごめん、ルカワ。もう行くわ」
「ああ」
慌てて階段を上っていく。後ろ姿を見送りながら、流川は仙道の言葉を思い出していた。
心配する必要は、ないように思えた。
花道は全然気にしていない。覚えてさえいないかもしれない。今更わざわざ掘り返す方が厄介だ。
流川は教室へ戻った。
花道が新聞部に入ったという話は、後日水戸から聞いた。
藤井麻子は、水戸と同じクラスだという。
いつも花道と一緒にいる女だ。
放課後。部を引退してから恒例となった自主学習を、水戸と仙道と三人でやっていた。
「そういえば、みんなさ。もう志望校は、決めちゃったわけ」
社会のプリントを睨みながら、仙道が言う。
「オレはもう決めたよ、北工業に。仙道は私立一本って聞いたけど」
本当? と水戸が聞いた。耳が早いなぁと、仙道は笑う。
「この辺りでバスケが一番強いところは、綾瀬しかないもん。それにあそこは、推薦制度もあるし」
「は〜。計算高いねぇ」
「流川は? 決めたの」
数式を解きながら、流川は答える。
「松城」
「松城!? おまえの頭で入れるのか?」
「うるせー」
「あそこは進学校で、バスケもそれほど強くないぞ。利点っていやあ、ここから一番近いってだけ……」
言いながら、水戸と仙道ははっとする。
「流川……」
「……もしかして、志望動機は、それか……?」
それだけではないのだが、流川はこくんと頷いた。一番の理由は、花道の通学路沿いにあるから、だ。
「じゃ、おまえ、受験まで死に物狂いで勉強するわけだ。あーあ、こりゃみんな、玉砕だな」
かわいそうに、と仙道は言う。
「何の話だ」
「あれ。引退してから、おまえんとこにもこなかった? お付き合いしてください攻撃」
「あれか」
「そう。かなしいオレらは受験生。でも青春だって謳歌したい。せめて体育祭が終わるまで、てさ」
「あー、ダメダメ、仙道。こいつ、決定打打ったって話だから」
「え?」
水戸はにやりと笑った。
「聞いたぞ。好きなヤツがいるからって、断ったって。女子の間では、すげーうわさ」
「あらま」
「事の真相を確かめてくれって、藤井さんに……あ、そうだ、忘れてた。流川」
目を上げると、水戸が身を乗り出していた。
「新聞部が取材したいってさ。藤井さんが、都合のいい日時、指定してくれって」
「いつでもいいけど」
めんどくさげに答えて、すぐに視線を落とす。あれ、と仙道が声を上げた。
「新聞部は、まだ引退してないんだ」
「いや、基本的にはオレたちと一緒で、運動部の総体が終わったら引退らしいんだけど、部員の数が少ないから、まだかりだされてるんだってさ。
藤井さんが取材するってことは、花道も一緒だな。あの二人、コンビ組んでるから」
「そうなんだ。うらやましいなぁ。――ところで、質問してもいいかしら」
「なんですか」
「1800年て、19世紀だっけ」
「18世紀じゃないのか」
「17世紀」
「そっちに一個ずれるんだっけ」
「でも00だろ」
「あれ? 今、何世紀だっけ」
こんがらがっている二人を無視して、流川は数式に没頭した。
それから三日後の昼休みに、新聞部が取材に来た。水戸が言っていた通り、花道も一緒だった。
取材の間、花道は一度も顔を上げなかった。流川はそれが気になった。メモを取るのに必死なだけかと思ったけれど、終わってからも流川の方を見ようとはしなかった。
「どうもありがとうございました。――桜木くん。構成確認したら、清書のほう、お願いね」
藤井の言葉に頷くと、花道は足早に去っていった。
「いつも、ああなの」
たまらずに、流川は聞く。藤井が振り返った。
「え」
「あいつ。一度もしゃべんなかったけど」
「そうでもない。普段はよく話すほう」
それでは一体、何故だろう。
「気になるの?」
藤井は言った。
「流川くんがバスケ以外で他人に興味を持つなんて、珍しいね。まぁ、桜木くんだから、別に驚かないけれど」
「何で」
くすり、と藤井は笑う。
「人気あるの、あの子。いく先々で、男女問わず。明るい子だから」
「ふーん」
「でも、桜木くんには本命がいるから、諦めた方がいいよ」
冗談めかした言葉だったが、流川は藤井を見た。
「本命?」
「そ。流川くんと一緒。好きな人がいるんだって」
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続く
⇒きまぐれにはなるはな