Flying KIDS[1]
はじめて会ったとき、流川はひどく衝撃を受けた。それがどんな類のものだったかは、よく覚えていない。やたらと印象に残ったことだけは、覚えている。
運動場で、何をしているときだったか、いきなり後頭部にサッカーボールがぶち当たった。むち打ちになるかと思ったくらい、不意打ちだった。
「だあっ、大丈夫か? 流川」
頭を抱えてうずくまったままでいると、同じクラスの水戸洋平が、心配して声を掛けてきた。かろうじて頷く。水戸は、ほっと息をつくと、辺りを見回した。
「だぁれだー? ボール飛ばしたヤツはー」
昼休みだった。当然、人でごった返している。しらばっくれれば、絶対わかりっこないのに、そいつは律儀にも名乗り出た。
「オ……オレ」
その声に、流川はちらりと目を上げる。どう見たって、年下だった。
「花道……」
水戸は大仰にため息をついた。
「ご、ごめん。洋平。わざとじゃないんだ。本当」
「オレに謝ってどーすんだよ。謝るなら、流川にだろ」
「う……」
流川は立ち上がって、花道と呼ばれたその張本人を見た。小さい。自分の半分しかないように見える。
花道は、ちらりと上目遣いに流川を見ると、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさいっ!!」
「――いたい」
「え?」
「すんげーいたい。死ぬほどいたい。首取れるかも」
「……ほ、ほんとに?」
「本当」
至極まじめに頷いてやると、花道は急に泣きそうな顔になり、水戸を見た。
「どーしよう、よ〜へ〜」
「ああ、もう。嘘に決まってんだろ」
「う、嘘?」
「流川はそんなタマじゃない」
「嘘ついたのか」
キッ、とこちらを向いた。さっきとは全然違う顔をしている。百面相みたいだ。
「嘘じゃねー。いたいのは本当」
「死にはしねぇけどな」
からかい口調で水戸は言った。
はなみっちゃーん、という遠慮がちな声に、三人は顔を向ける。数人の下級生が、恐る恐るこちらを見ていた。水戸は苦笑すると、花道の頭に手を置いた。
「おら、もういいぞ」
「お、おう」
水戸を見上げて頷いたあと、花道はもう一度流川を見た。
「本当に、ごめん」
言いながら、その場を離れた。流川は、ボールが当たった部分をさする。
「わりーな。大丈夫か」
「――知り合い?」
「いとこなんだ」
「ふーん」
花道を目で追いながら、流川は頭をさすり続ける。そんな流川をニヤニヤと、水戸は確かめてから、やんわりと言った。
「桜木花道。いま三年だったかな。オレらのふたつ下」
「……小さい」
「あ、それ禁句。花道、すげー気にしてんの」
「ふーん」
いいこと聞いた。
無表情のまま、流川は後頭部をさすり続ける。困ったな、というように、水戸はぽりぽりと頭をかいた。
流川楓は、五年生の間では有名だ。きれいな男の子として有名だ。無愛想としても有名だ。遅刻魔としても有名だ。バスケ好きとしても有名だ。滅多に口は開かないけれども、その存在はとても目立っていた。故にかどうかはわからないが、女子の間で人気は高い。当の本人は冷めたもので、好きな女の子なんて、今まで一人もいなかった。
今日もまた、いつものようにやたらと声を掛けてくる女子を振り切り、体育館へ向かう。必然的に、生徒玄関の前を通ることになるのだが、そこで見覚えのある人影を見つけた。誰かを待っているのか、時折きょろきょろと辺りを見回している。
流川は近寄って、声を掛けた。
「……ちび」
怒りをあらわにした顔が、瞬時にして向けられる。
「何か言ったかっ! ――あ」
見上げるように確認した後、花道は気を抜いた。
「洋平の友達の人」
べつに友達ってわけではない。
黙って見下ろしていると、花道はちょっと困った顔をした。
「まだ、いたいのか?」
もう何日も前のことだ。そんなものは、とっくに治っている。
「動かねー」
「え?」
「首。動かせなくなった」
「うっ、嘘だろっ!?」
本当に信じたようだ。
「……嘘」
しれっとして言ってやると、ほっとしたのか怒りでか、目がほんの少し潤んできた。口を一文字に結んでいる。
「何してんの」
聞くと、花道はふいと横を向いた。怒っているのだろう、答える気はなさそうだ。
「帰んねーの」
花道がいま立っている場所は、五年生の下駄箱の前だ。
「帰るよっ」
「三年はあっち」
「洋平待ってんだよっ」
「……水戸なら、委員会で遅くなる」
「え?」
花道は流川を見ると、一瞬なくなった眉間のしわを復活させた。
「また嘘か」
「これは本当。夏休み中のプール当番を決めるらしい。あいつ、確か体育委員だったから」
「あ、オレもこないだ決めた。エサやり当番。オレ、飼育委員」
「ふーん」
「あんたは?」
「保健委員」
無理矢理、押し付けられた。
「流川くーん」
突然、割って入ってきた女の声にげんなりする。無視していると、そばまで寄ってきた。
「帰るんだったら、一緒に帰ろ」
「まだ帰んねー」
「バスケ? そっか。頑張ってね」
さばさばしたもので、あっけなくひらひらと手を振って去っていった。流川はため息をつく。女子がみんな、今みたいな感じだったらいいのに。
「友達?」
花道に聞かれて、流川は首を横に振った。
「知らねー」
「知らない人が、一緒に帰ろうって言うのか?」
こくんと頷く。少なくとも、流川にとっては知らない人だ。たとえ同じクラスだろうと、滅多に人は覚えない。
「なぁ。バスケって?」
「……クラブ。放課後、体育館でしてる」
「見に行っていいか」
クラブ中は、関係者以外立ち入り禁止だ。
「練習始まるまでなら」
「他の人がいたら、怒られるのか」
「そう」
「わかった」
体育館には、まだ誰も来ていなかった。
流川は用具室からバスケットボールが入っているカゴを引っ張り出す。入り口の横で、ちょこんと座り込んでいる花道をよそに、シュート練習を始めた。
一旦ボールを持つと、滅多なことではまわりを気にしなくなるのが流川だ。黙々と練習を続けていると、いつの間にかクラブの連中が集まりだした。
「はっやいなー、流川」
声を掛けられて、はっと我に返る。
「あんまり練習しすぎると、またコーチにしかられるぞ」
「ああ」
何かを忘れているような気がして、生返事を返す。ふと、入り口に目をやって、ようやく花道のことを思い出したが、そこにはもう姿はなかった。
夏休みに入って、二週間が過ぎていた。真上から照りつける太陽の中、流川はいつものように体育館へ向かう、ミニバスの練習のため。
学校の前庭には、ウサギ小屋がある。道路に面した低い塀のきわにあるのだが、その小屋の中に人がいるようだった。エサをやっているのだろう。二人がかりで何やら騒いでいる。
「あっ、こら。あばれんな」
「ちょっと、逃げないようにちゃんと見張っててよ」
「だーっ、もう。メシより掃除が先だって」
女の子が、ウサギと格闘している男の子を見て、あきれ返っている。何気なく見てみると、その男の子は花道だった。
「……ちび」
どうやら聞こえなかったらしい。流川は塀を乗り越えた。その気配に、二人仲良く振り返る。
「当番?」
聞くと、花道は頷いた。
「そう」
「ふーん」
「誰?」
女の子が花道に聞く。
「洋平の友達」
「流川」
花道の答えに、流川はむっとして言う。きょとんと花道が見上げた。
「流川楓」
「――だって」
流川の言葉を受けて、花道は女の子に向き直った。流川は面白くない。ますますむっとしていると、花道はくるりとこちらを振り返った。
「ひま?」
「あ?」
「いまから練習?」
「そうだけど……なに」
「時間あるんなら、ちょっと入り口見ていてくんねぇ? こいつら、逃げないように」
「いーけど」
「いまから二人で掃除するから」
「すっごい汚いの。絶対誰も掃除しなかったのよ。一日でこんなにいっぱい、うんちするわけないもん」
仕事熱心なことだ。二人とも、不正は嫌いとみえる。
掃除をしながら、女の子は言った。
「あのお兄ちゃんとはなみっちゃんて、全然反対だね」
「なにが」
花道も手を休めずに、それに答える。流川は耳を傾けた。
「髪の毛さらさらだし、色白いし、きれいだし。背も高いしね。はなみっちゃんは、髪の毛ふわふわで、日に焼けてるし、かわいいもん」
「かわいいってなんだよ。背が低いってことか」
あからさまに、むっとしている。
「そんなこと言ってないじゃない。はなみっちゃん、気にしすぎ」
「……だって」
「お兄ちゃん。お兄ちゃんだって、そう思うよね」
流川はちらりと花道に目をやる。むすっとしながら、上目遣いにうかがっているそれと合った。
「その年で、オレぐらいあったほうが、怖い」
「……あ?」
意味が分からなかったらしい。
女の子は言った。
「背なんてね、伸びるものなの。はなみっちゃんだって、そのうちうんと大きくなるんだから」
「……気にすんなって、洋平にも言われてるけどよぅ」
まだぶつぶつと何か言っている。気持ちは分かるが、だからってどうにかできるものでもない。気にしないのが一番だ。
「お兄ちゃん、ありがと。もういいよ」
見張りを交代して、エサを置いている花道のところまでいく。しばらく黙って見ていると、花道のほうから声を掛けてきた。
「なんだよ」
「牛乳は、毎日飲んでんの」
「飲んでたらわりぃのかよ」
「だったら、そのうち伸びるんじゃねー?」
花道は目をぱちくりさせた。信じていないのだろうか。
「オレも飲んでる」
「……ほんとか?」
「本当」
「また嘘ついてんじゃねぇの」
「ついてない」
とたんに、花道の顔が赤くなる。どうしたのだろうと見ていると、花道は横を向いて、怒ったように大声を上げた。
「バスケっ。行かなくていいのかよ! 遅刻するぞっ」
しねーよ、と言いかけて、時計を見る。そろそろ時間だった。
「じゃーな、ちび」
言い置いて、くるりと向けた背中に、花道の声が飛ぶ。
「うるせーっ、バカキツネ!」
流川は笑った。
後期は美化委員になった。担当期間中は掃除をしなくていいのは幸いだが、これも結構面倒な仕事である。流川は、受け持ちの場所を点検していた。
「あ、ルカワだ」
あくびをかみ殺していると、花道の声がした。見ると、ホースを片付けながら、にぱっと笑っている。どうやら、流川の受け持ちの東階段脇にある、三階トイレの当番らしい。
「今度は美化委員になったのか」
「そう。てめーは」
「前と一緒。オレ、好きだもん」
「世話すんのが?」
「っつーか、あいつらが。ウサギもにわとりも鯉も」
「ふーん」
はなみっちゃーん、先行くよー、と言う声に、おう、と返しながら、花道は手を洗い終える。
「ルカワ。運動会、混合リレー出るんだって?」
「水戸に聞いたの」
「うん。オレね、障害物競走に出るんだ。すっげー楽しみ」
「ふーん」
「な、な。ルカワってやっぱ、足速いの」
「……普通じゃねー?」
自分ではよく分からない。
「洋平は、速いって言ってたぞ」
「水戸とあんま変わんねーよ」
「じゃあ、速いじゃん」
「速いの」
「うん」
「オレより速いヤツいるけど」
悔しいことに。
「じゃあ、そいつも速いんだ」
流川は何となく面白くない。
花道の中では基準があって、それを上回るヤツは全部ひとくくりらしい。
「てめーは」
「オレも速い」
「本当かよ」
「速いほう」
「ちびのくせに」
「でも速いもん」
あれ、と思った。ちびと言ったのに怒らない。
「怒んねーの」
「何が……ああ。うん。気にしないことにした」
「ふーん」
「んでいつか、ルカワより大きくなってやるんだ」
腰に手を当て、胸を張る花道。
「オレも背、伸びるけど」
「わかってるよ。大人になったときの話」
「おとな?」
五限目の予鈴が鳴った。
「あ、教室行かなきゃ」
「流川くーん。予鈴鳴ってるよー」
誰かが声を掛けた。しかし、流川の耳には届かない。
花道は、じゃぁなと言って去っていく。
流川はしばらく立ち尽くしていた。
「おとな……」
何でこんなに嬉しいのか、全然わからなかった。
「はなみっちゃん、クラブ決めたの?」
仙道彰が言った。流川とは以前からミニバス仲間で、六年生になって初めて同じクラスになった。
その仙道の言葉に、流川は顔を上げる。隣の席の水戸に話しかけていた。ちなみに、水戸とはまた同じクラスだ。
「残念ながら、バスケじゃない」
意地悪く水戸は言う。仙道はとたんに、しゅんとなった。流川は聞く。
「知ってんの。あいつのこと」
仙道は目をぱちくりさせた。
「知ってるよー。ときどき水戸と一緒に帰るの見てるもん。オレね、かわいい子は必ずチェック入れるの」
仙道の言いように眉間にしわがよる。
かわいいこ?
「オレに言わせれば、こっちの方が意外だよ。おまえがはなみっちゃんを知ってるなんて」
にーっと笑った後、水戸に「どういう関係?」と聞いている。水戸は苦笑しただけだった。
「それより、情報はこれだけでいいのか?」
「冷たいなぁ、水戸くんはー」
「どこにしたんだ」
流川も話に加わった。
四年生から、クラブ活動が始まる。ほとんど週一の活動だが、バスケのように週二回のクラブもある。ちなみに、バスケクラブはミニバスと同じメンバーだ。
水戸は言った。
「お料理クラブ」
「……え?」
不覚にも、仙道とハモってしまった。
「あいつさ、おばさん死んじゃって、おじさんと二人暮しなんだ。だから、おじさんが仕事で遅くなるときなんか、うちでご飯食べてるんだけど、料理覚えたらオレの母さんに迷惑かけなくてすむからって。こっちは迷惑だなんて思ってないんだけど、花道のヤツ、もう決めたってきかねぇの」
「うーん……はなみっちゃんらしいと言えば、そうだけど」
でも悲しい、と仙道は言った。そんな仙道を水戸がなぐさめる。
「まぁ、でも、調理実習室ってほら、渡り廊下から中のぞけるから」
体育館へ続く渡り廊下。それに隣接して、調理実習室がある。ガラス窓で仕切られているので、のぞこうと思えば簡単だ。
「ちなみに水戸は?」
「オレは引き続き工作です」
「好きだね〜」
「お互い様だろ」
そう言って、水戸と仙道はにっと笑った。
続く
⇒きまぐれにはなるはな