LEAD

 十月。桜木と流川が互いに自分の想いに気付いたあの時から、そろそろ二ヶ月が過ぎようかという季節。多少は秋めいてきたものの、まだまだ冬服では暑すぎる空気にさらされながら、二人は昼食後のひとときを屋上で過ごしていた。
 いつものごとく、リーゼントで整えた赤い髪を風に揺らしながら、取り留めもない話を口にする桜木の声に耳を傾けていた流川は、急に相手が黙り込んでしまったのをいぶかしんで、重い口を開いた。
「どうした」
 俯いてしまっている桜木の顔を覗き込むように首を傾げる。
 目線も合わせず「ルカワ……」と小さくつぶやくと、桜木はいきなり流川の双肩をがっしとつかみ、絞り出すような声で聞いた。
「オレのこと、好きか?」
 真剣に見つめられて、それでも流川はため息をつく。
「どあほう」
 流川にしてみれば、今更何をとちくるったことを言ってんだ、である。
 それはもう、一目合ったその時から、いつでも熱い視線を交わし、どんな時でも相手の存在を気にかけてきたのだ。
 あまつさえ告白までして、それからはキスするような関係にまでなったのである。今更「好きか?」もない問題。
 しかし、それは流川の言い分であって、桜木にしてみれば、当然の質問であった。
 「どあほう」の一言にむっとしながらも、さらに同じセリフを口にする。
「好きか?」
「てめーは……何をいまさら……」
「だって、一回も好きだって言ったことねぇじゃねーか」
 そうなのだ。告白したと言っても、それは流川の口から直接「好きだ」と言われた訳ではない。むしろ、はっきり言ったのは桜木の方なのである。
「ルカワ、オレてめーのこと好きみてぇだ」
 と言った桜木の顔をしばらく見つめた後、唐突に流川は例の如くため息をついたのである。
 玉砕かと思った桜木には、かと言って両想いになれるつもりもさらさらなかったので、それほどショックは受けなかったのだが、その後の流川のセリフに打ちのめされた。
「キスでもするか?」
 そうしてなんとなくキスをする仲になった二人なのである。桜木が不安に思わないわけがない。単にからかわれているだけなのではと、思い悩んだ日々数知れず。
 でも、自分は流川のことが好きなのだ。好きな相手と一緒にいて、キスまでしちゃったりなんかしたら、15才なんだから、いろいろとやりたいことも増えてくる。
 夢はあくまで「好きな子と一緒に登下校」の桜木だが、現実はそんなに甘いものじゃない。五欲は正常に働いている。
 そんな桜木の気持ちも露ほど知らずに、流川はむっとして聞き返す。
「じゃ、てめーは好きでもないヤツとキスなんかするのかよ」
 桜木は一瞬考える。考えて、そして言った。
「好きなのか?」
 流川はもう、一切のリアクションを起こさなかった。
「好きなんだな? 好きなんだな?!」
(あーもう、うるせぇな)
 流川は煩わしそうに、桜木の腕を振り払おうとする。それをさせじと更に掌に力を込め、桜木は意を決したように早口でささやいた。と言っても、充分に普通の声量であったけれども。
「ルカワ、やらせてくれ」
 周囲に誰もいなくて幸いだ。
 流川は一瞬何を言われたのか理解しかねて、その無表情を強張らせた。
「……何考えてんだ、どあほう」
 ようやく回りはじめた頭のねじは、でもどこか一本おかしくなったらしく、流川の声はかすれていた。
 桜木の顔は、それはもう彼の髪の色よりも赤かった。何を意図しているのかは、いわずもがな、である。
「ななな、何って、その……」
 口ごもる桜木に流川、再三のため息。
「ふう」
「い、いいだろ! だってオレら、その、つまり、好き合ってんだし」
「どうしてもやりてぇのか」
「やりたい。当たり前だろ、好きなんだから」
 一緒に登下校が夢なんじゃなかったのかと流川は思う。
 しごく真面目な桜木に、けれども少しも押し切られなかった流川は、いとも冷たく言い放つ。
「てめー一人でやってろ」
 言うが早いか腰を上げ、流川はさっさと背を向けた。桜木は一瞬遅れをとってしまう。
「おい、そりゃねぇだろ。ルカワ!!」
 屋上と校舎内をつなぐ扉は、非情にもあっさりと閉じてしまった。


 それからしばらくの間、桜木はチャンスが訪れるごとに流川にお伺いをたて、流川はそれを無下に退ける日々が続いたのだが、ある日を境にふと、桜木は何も言わなくなってしまった。と言っても別に態度がおかしくなったわけではなく、単に「やらせてくれ」とは言わなくなっただけなのだが、事が事なだけに、流川はとても気になった。
 さんざんうるさく言っておきながら、何故突然言わなくなったのだろうか。もうどうでもよくなったのだろうか。本当に自分で処理してしまったのだろうか。だとしても、それだと逆に欲求は増えそうな気がする。
 必要がなくなる。その理由は一つしか考えられなかったりして。
 そう、たとえば。いや、たとえなくても。
 他に誰か、出来たとしか。
 流川のオーラは、日を追うごとにどんどんイラつきを増していった。
 本当のところ、桜木はただ、今はまだ諦めようと結論つけただけなのだが。


 そんなこんなで、日曜日がきてしまった。
 この日は、バレー部が他校を招いて一日練習試合をするらしく、やむなく部活は休みだった。別に示し合わせたわけではないが、きっと流川も来るだろうと、桜木は近所のゴールポストのある公園へと足を向けた。
 しばらく一人でシュート練習をしていると、聞き覚えのある声が、桜木に呼びかけた。
「あれ、一人?」
 誰だっけと思い振り向くと、
「センドー?! てめーこんなところで何やってんだ?」
 相変わらずツンツン頭の仙道が、飄々とした顔でにこりと笑う。
「散歩」
「さんぽー? てめーはこんな遠くまで散歩に来るのかよ」
「遠くないよ。駅で言ったら三つ分じゃん」
「てめーの散歩は電車を使うのか?」
「まぁまぁまぁ。何、桜木。それとも本当のこと言ってほしいの」
「本当のことって何だよ」
「桜木に会いに来たんだよ」
「はぁ??」
 冗談なのか何なのか、桜木には計りかねた。仙道に探りを入れてみても何も分かるはずもなく、とりあえず桜木は次の問いを投げかける。
「部活はどうしたんだよ。陵南は選抜投げたのか?」
「まさか。ちゃんと今部活中だよ」
「なぬ? センドー、おめー主将じゃなかったのか?」
「偵察に来たんだけどねー」
「それはヒコイチの仕事なのでは……」
「彦一のあれはね、仕事じゃなくて趣味なんだよ」
「ほう、趣味……」
「それより、桜木」
「ぬ」
「相手してやろうか」
 言って仙道は上体を落とし、煽るように桜木に視線を合わせる。
「1ON1、オレが負けたらラーメンおごってやるよ」
「ほほう」
「その代わり、桜木が負けたら今度一緒に買い物付き合ってくれる?」
「よろしい。どこからでもかかってきなさい」


 そのころ、流川はというと、ジャージ姿にボールを持って、桜木のアパートへと自転車を走らせていた。暇にしているのであれば、公園にでも誘おうとの魂胆だ。いくら相手がどあほうであれ、やはり一人で練習するよりは、二人のほうが何かと勉強になるだろうと。
 もっとも、それは多分に桜木に言える事なのだと、流川は気付いてはいないのだが。
 目的のアパートに着いたとき、桜木の姿はそこにはなかった。すでに公園で一人練習をしているのだろうと、ためらわずに自転車にまたがる流川。桜木の家からそこまでは、ものの二分とかからない。
 案の定、そこに赤い頭を見つけて、流川は知らず安堵する。のも束の間。いつもはそこにあるはずのない影を見つけて、流川の目はきつくなる。
 桜木の親友の水戸かと思ったが、彼にしては背が高すぎた。それに、あのヘアスタイル。
 流川の中で、このところのイライラが目を覚ます。
 仙道だ。
 陵南のエースで主将である仙道に、流川は今まで一度も勝てたと思えたことがない。いつも何を考えているのか分からない、流川とはまた別の意味であれもポーカーフェイスと言うのだろう。もっとも、流川のそれは、無表情と言ったほうが分かりやすいものではあるが。その仙道が、よりにもよって初対面の時に、桜木に興味を示したことが、流川の癇に障った。
 そのときは、何故彼に対してこんなに敵対心が湧き上がるのか、全く見当もつかなかったのだが、今にして思えば、とても単純な理由である。
 その仙道が、桜木と一緒にいるのだ。
 しかも許せないことに、シチュエーションが最悪だった。
 ベンチに腰掛ける桜木の真正面に仙道が立っており、その両手は桜木の頬にあてがわれているのだ。心持ち上向きに顔を上げられ、あろうことか桜木はおとなしく目を閉じているのである。
 流川のイライラは頂点に達した。
 あの時、自分が桜木に問うた言葉。
『てめーは好きでもないヤツと、キスなんかすんのかよ』
 あの後たしか桜木は、一瞬、間を置かなかったか?
「にゃろう……」
 流川は思わず握り締めていたフェンスから乱暴に手を放すと、ズンズンと二人に近付いていった。
「何やってんだ、どあほう」
「ル、ルカワ!!」
 流川の声を耳にして、桜木はひどく驚いた。その拍子に、思い切り仙道を突き飛ばしてしまったが、そんなことは少しも気にしていなかった。
 流川といえば、その桜木の驚き様にますますむっと不機嫌のオーラを拡大させる。何をそんなに驚いているのか。やましいところがあるのかという、いらぬ勘繰りのなせる業。
 それを知らずに桜木は、ただただ慌てふためいていた。
 何かひどく流川が勘違いしているらしいと気付いているのは、仙道ただ一人である。
 仙道は、桜木に突き飛ばされながらもニコニコして、流川の誤解を解くべく、状況を説明する。
「桜木の目にゴミ入っちゃってさ、オレが取ってあげてたんだよ」
 ジロリと仙道を睨み付ける流川。あんたは黙ってろと言いたいらしいが、仙道は軽くそれを受け流してしまった。
 再び流川は桜木に視線を戻す。桜木はただコクコクと頷いていた。
「そんなん、自分ですりゃいいだろ」
 桜木へのセリフに返事をするのは、またしても仙道であった。
「やったよ、桜木。でも全然取れなくってさ。そのうち目、乱暴にこすりだすから、仕方なく」
 答える仙道を無視して、流川は桜木の腕を取ると、有無を言わせない態度で歩き出す。その様子を見ながら仙道、始終ニコニコ笑い続け、
「おーい、流川。オレの説明、聞いていかないのかぁ」
 振り返るはずもないことを承知の上で呼びかけた。二人の姿はあっという間に、公園の外へと消えていく。
「あんまり桜木をいじめないでくれよ、流川」
 ひとつ付け足しておくならば、仙道は他人で遊ぶのがひどく好きなタイプであった。


 自転車を引きながら肩を並べて歩く流川の機嫌が、ひどく悪いことを桜木は知っていた。けれども原因までは頭が回らず、何をそんなに怒っているのだろうと思っていた。いや、もしかしたら本当は怒っていないのかもしれないけれど。
 桜木はためらいがちに口を開く。
「ルカワ……? 何か怒ってる……?」
「別に」
 そっけなく即答したその声は、いつもと変わらないと言えば変わらないものだったが、はたして。
(このところ、ずっとこんな調子だもんな。わかんねぇよ)
 はぁーあ、と大げさに息を吐くと、おもむろに桜木は言い出した。
「なぁ、まだダメか?」
 突然のことに何が何だか分からない流川は「何が」と聞き返しながらも、どこかで少しずつ機嫌が回復していくのを感じていた。
 一方、「何が」と問われて桜木は返答に詰まっていた。今更なことに、彼は全く気付いていない。答える顔は真っ赤である。
「だから、アレ」
「てめーは……そんなにしてーのか」
「やりてぇ」
 どうやら、ここまできたら開き直ったようだ。素直に頷く桜木に、流川も正直に答える。
「じゃ、してやる」
「は?」
 あまりの展開に、桜木はついていけなかった。今こいつは何て言った?
「は? じゃねーよ。してやるっつってんだ」
 と真顔で言い放つ流川に、あわてて桜木は問いただす。流川のイライラがきれいになくなっていることに、桜木は気付く余裕もなかった。
「お、おい。やりてぇのはオレだぞ?」
「だから、どうしてもやりてーんなら、オレがしてやるっつってんだ」
「何でそうなるんだ……」
「どっちだって一緒だろ」
「違うと思うぞ」
「たいして変わんねー」
「そう言うんなら、オレがやったっていいじゃねぇか」
 ハタと流川は桜木を見る。それもそうだと言うかと思えば、
「わがまま」
 なんとも冷たいこの一言。
「ふぬっ……仕方ないだろぉ? これだけは譲れん」
 まるで子供のように変に威張って言う桜木に、流川は肩をすくめながら、わざとらしくため息をついてやった。
 そして、気落ちする桜木にとどめの一発。
「やりたきゃやれば?」
「へ?」
 まともに食らった桜木は、目が点になっていた。
「いやならいいけど」
 ……はてさて、主導権は一体どちらが握るのやら。

1996/12


きまぐれにはなるはな